西上武幹線と中東京幹線

造り酒屋買いませんか?
 越生の知人宅まで出かけた。越生という町をご存知だろうか。江戸時代から養蚕の集積地として発達し、開国後は殖産の要として賑わった街だ。地図を広げて見ると山間の少し広い平地。越生の繁栄は知識としては分かっても、実感はなかなか湧かない。
 そんな越生の知人から、ずいぶん前に西上武幹線の工事と思われる鉄塔の写真を送っていただいていた。ただ今回のお誘いは鉄塔とは別の用事なのだ。造り酒屋を購入しませんかツアーのおまけみたいなもの。私がお金ないの知っているはず、それとも私のなけなしのサマージャンボ狙いかなぁ。
 造り酒屋購入ツアーの味噌っかすとしては、他の人を巻き込んで鉄塔は回れない。越生まで行って鉄塔を見られないのではちょっとフラストレーションがたまる。それではと前日に越生までバイクを飛ばした。

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送っていただいた鉄塔の写真
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これが越生の造り酒屋だ!


黒山三滝
 何なんだこの暑さは! バイクで高速を飛ばす。どんなにスピードを上げても熱風だけが身体にたたきつけられ、体温を徐々に上げていく。高速を下り、ちょっと道に迷いながら下道をジリジリ進む。太陽もジリジリと叩きつける。ようやく越生の町に入る。


 「どんな田舎町に行ってもコンビニだけはある」と、そう思っていた。でもどうやら越生の街中にはコンビニはないようだ。夏は鉄塔の季節らしいが、熱中症とも紙一重。コンビニは鉄塔回りの救いの女神さまだ。でも越生にはコンビニはない。その代わり不二家のペコちゃんの姿が目の隅をかすめる。ペコちゃんはいてもコンビニはない。何となく越生という街を表しているなぁ。
 そうこうするうち街を通り過ぎ、ようやく西上武幹線と思しき建設中の鉄塔の近くまで着いた。でもムリ! 体力の限界。鉄塔を通り過ぎ少し先の黒山三滝の谷まで逃げ込んだ。


 黒山三滝の名前はかれこれ半世紀まえから聞いている。でも行ったことはない。たぶん大したことないだろう。でもこの際、身体の温度を下げるのが先決だ。谷筋に入り木陰にバイクを停める。駐車場の気温は大して下がっていない。谷筋に伸びた道の先には水が音を立てて気温を下げているはずだ。
 道の両側には土産物屋がポツポツ。私が小学時代に山に行ったときのようなたたずまいで懐かしい。水筒を忘れた私としてはまずはお茶のペットボトル。こういったところで買うと結構高いんだよねぇ。でも途中でバイクを停める余裕がなかった私の負け。ペットボトルを購入。でもあまり冷たくない。こんなところまで昔ながらだ。
 滝は半世紀ほど想像していた程度に大したことはなかった。でも形はいいね。この肩すかし加減がまた懐かしいです。身体の温度も下がったし、やっぱり来て良かった。


大満の特殊鉄塔
 滝を見物してお茶を飲んで体力回復、日も少し低くなってきたところでようやく鉄塔まで戻る。
 地形図には「大満」と書かれている道の対岸に新しい鋼管鉄塔と古そうなアングル鉄塔が並んで立っている。知人からもらった写真の鉄塔だ。新しい鉄塔は西上武幹線の鉄塔。古い鉄塔は中東京幹線の鉄塔に違いない。古い鉄塔の塔頂標には395号と書かれ、中東京幹線は老番側から来た送電線がここで引き留められ止まっていた。ここから若番側は一回りも二回りも巨大な西上武幹線に建て替えられていた。

写真:「西上武幹線219号(推定)、中東京幹線395号」へリンク
西上武幹線219号(推定)、中東京幹線395号


 この中東京幹線395号はかつては重角度で送電路を曲げ、線は中東京変電所へと向かっていた。中東京幹線は建設当時は只見の田子倉ダムから西東京変電所(東京都町田市)を結んだ路線で西東京幹線と呼ばれていたらしい。戦後の首都の電力を支えた歴史ある幹線だ。その後、接続を西東京変電所から中東京変電所に変更したときに、この鉄塔で東に90度まげて中東京変電所に連絡したと思われる。


 古い鉄塔はここで送電線を分岐していた名残で、腕金が段違いで十字型に付き、ジャンパー線の取り回しのための腕金が3本45度の角度で付加されている。今なら分岐する時は左右の回線毎、3段分上下に移動するのが決まり事だが、たった一段のずれで分岐するって、これ凄いじゃないか。ちゃんと生きている時に来たかったなぁ。

写真:「中東京幹線の段違い分岐鉄塔」へリンク
中東京幹線の段違い分岐鉄塔


ハイブリッド鉄塔
 新しい鉄塔は工事現場の表示から推定すると219号らしい。新しい鉄塔は主材は鋼管製だが、腹材は等辺山型鋼を使用している。鋼管鉄塔アングル鉄塔のハイブリッド型。これって新工法なのかな?
 隣の旧鉄塔は分岐の特殊構造をしているが、こちらは通常の四角鉄塔。角度をつけて曲げるようでもないし、まして分岐するような構造も持っていない。どうやらここでは曲げずに、もう少し山の中まで持っていくようだ。山の稜線まで行くと安曇幹線のルートにぶつかるが、どうルートをとるのだろうか。
 かつて西東京変電所まで結んでいた時代と同じルートが一部復活するのだろうか。安曇幹線を建て替える区間の様子もその後見ていないし、ここにはまたやってこないといけなそうだ。

写真:「西上武幹線218号(推定) 向かい側の山の稜線に立っていた」へリンク
西上武幹線218号(推定) 向かい側の山の稜線に立っていた