私の「鉄塔 武蔵野線」1

承前
 夏だ! 武蔵野線の季節だ。


 実は私まだ、あの「鉄塔 武蔵野線」を回ったことがないのだ。夏になるたび、今年こそ、今年こそと思いながら実行しないできた。今年こそ武蔵野線を回るぞ。
 小説では見晴少年は二日で終点まで到達している。私の回り方だとどのくらいかかるものか。夏のうちに回り終えるだろうか心配だ。
 それでも出発は夏にした。畑と夏雲と鉄塔。映画で見た光景が「武蔵野線=夏」とささやくのだ。


鉄塔 武蔵野線 (ソフトバンク文庫 キ 1-1)


 銀林実氏の小説『鉄塔 武蔵野線』は1994年12月に新潮社より刊行されている。刊行から15年。武蔵野線にもいろいろな変化があったことだろう。Webなどで報じられているように、新座変電所への武蔵野線引き込み、武蔵赤坂開閉所の完成などがあり、そのため路線は「武蔵赤坂線」「武蔵野連絡線」「武蔵野線」の3分割となった。鉄塔の一部建て替えなども報告されている。
 路線周辺の状況も15年も経てば、いろいろ変わっているのは予想に難くない。


 しかし美晴とアキラ、二人の冒険心は、まだ結界の中心にかならず埋まっている。私は埋められた少年たちの心の脈動を感じとるることができるのだろうか。ソフトバンクから出た文庫版をデイパックに入れて私の旅を開始しよう。

[おことわり]
 小説との対比などの必要性上、いわゆるネタバレが含まれる場合があります。ご注意ください。
 また、路線名、鉄塔番号は現在のものを書き、括弧内に小説に出てくる旧鉄塔名・番号を書きました。変電所名も現存する名称とし括弧内に小説中の名称を記入しました。


「永遠の出発点」
 夏の暑い一日、川越街道を走り志木駅の手前から南に曲がる。しばらく走ると鉄塔が見えてきた。バイクを農家の塀沿いに止め、鉄塔に近づく。上下振りわけの特色ある鉄塔――「永遠の出発点」を発見した。


 畑の横を細い道がゆるやかなカーブを描きながら延びる。上下振りわけの異形鉄塔からは、送電ケーブルが下の変電所に向かって下りている。変電所は堀ノ内変電所。小説では「香皿変電所」という名前で出てくる。鉄塔は武蔵野線10号(旧75-1号)だ。
 振り返ると農家の先には武蔵野線が遠く延びている。長いとんがり帽子がすてきだ。整った四角鉄塔の姿と目の前の異形鉄塔。永遠の出発点はとても分かりやすい鉄塔ランドマークだった。

武蔵野線10号(旧75-1号)<br>「永遠の出発点」
武蔵野線10号(旧75-1号)
「永遠の出発点」
堀ノ内変電所(香皿変電所)
堀ノ内変電所(香皿変電所)


 私も小説に倣って南に線をたどることにする。通りを越えて11号(旧76号)。教習所と新しそうな墓地の間のヤブの中。隣には片山線8号。どこから近づけばいいものか。
 隣の片山線は8号だ。鋼管のコックさん。背が低くてずんぐりした鉄塔だ。なるほど武蔵野線のすっきりとした姿から見ると、愚鈍な感じがする。

武蔵野線11号(旧76号 奥)と片山線8号(手前)
武蔵野線11号(旧76号 奥)と片山線8号(手前)


 ここは丘の端。武蔵野変電所方向の眺めが素晴らしい。目の前に片山線9号、そこから武蔵野線と片山線がクロスして進んでいく。

武蔵野変電所方向の眺め。手前は片山線9号
武蔵野変電所方向の眺め。手前は片山線9号


 黒目川の河原まで下りてきた。河原の道から武蔵野線11号に登る道を探す。道はあるといえばある、ないといえばないという状況。ヤブをかき分けてがんばればたどり着きそうだが、やっぱり止める。半袖だしね。美晴少年は小学校5年生。私がまねしても始まらない。


黒目川南
 橋までぐるっと遠回り。住宅地を抜けると片山線9号の脚元。畑と川は小さな木立で隔たっている。木立は公園なのだろうか下は整地されている。木立を抜けると鉄塔の根本に出た。


 片山線9号は交差鉄塔。上段に片山線、下段に武蔵野線を支持し交差させる。赤白に塗られた鋼管製の立派な鉄塔だ。結界はコンクリートで固められて快適。結界に入り写真を撮る。<註>

片山線9号
片山線9号


 鉄塔の先には泥の道が畑の中を延びている。畑の中の道をぶらぶら歩く。前方には右に武蔵野線、左に片山線が延びていく。とてもすてきな散歩道だ。
 おや武蔵野線の帽子がコックさんだ。ここから南、武蔵野線はとんがり帽子からコックさん帽に変更しているようだ。


 道を辿っていくと片山線10号に着いた。少し奥に武蔵野線13号(旧77号)が立っている。畑とヤブの向こう側だ。畑の奥に近づいて見るがひどいヤブ。到底入り込めない。小説では鉄塔は「葱畑(ねぎばたけ)の傍らで、結界はきちんと整頓されています」と書かれているが、これはひどい荒れようだ。
 反対側からはとアプローチするが、これもヤブに阻まれて断念。小説から15年。変わっていくのは世の習いだが、これでは鉄塔の手入れもままならないではないか。

武蔵野線13号(旧77号)
武蔵野線13号(旧77号)


 テニスコートが通りの両側に広がる。通りを越えたところに武蔵野線14号(旧78号)。かつて広い芝生の中に立ち、結界にも入ることが出来た鉄塔は、駐車場脇に灰色のフェンスで囲まれ立っていた。結界は赤い水で汚れていた。

武蔵野線14号(旧78号)の根本
武蔵野線14号(旧78号)の根本


 送電線はゆるやかな谷を越えて向こうの丘に登っている。ぐるっと大回りをして15号の根本に行く。武蔵野線15(旧79号)は民家の駐車場奥。丸く刈り込まれた生け垣に囲まれている。結界にも入れる小柄なコックさん鉄塔だ。
 小柄なコックさんを私は気に入った。でも銀林氏的には「塔高が小さくて胴部が太い、中年女性的体型」とあまり好感を持っていないようだ。ちょっとひどい言われようだよね、15号ちゃん。

武蔵野線15号(旧79号)
武蔵野線15号(旧79号)


 15号の高さは34.5メートル。15万4千ボルトとすれば低い。低い上に径間が長いために送電線の高さはより低くなる。送電線は畑を進み向かいの小高い丘を越えて行くのだが、高い木々と接触しそうな感じだ。
 線に沿った道が畑の中を通っている。ここまで送電線に沿った道はほとんどなかった。これは助かる。丘を登ればいよいよ武蔵野変電所は間近だ。


 木立に囲まれた気持ちの良い道を登ると16号(旧80号)が迎えてくれる。少し高さを増した鉄塔は、畑の先の道路わき、レンタル収納スペースの横に立っていた。
 今来た方向を振り返ると木立の上に送電線が消えていく。さっきの15号鉄塔のコックさん帽子がかろうじて見える。これから訪れる方向には住宅が立ち並ぶ。住宅の屋根の上に最終の異形鉄塔17号(旧81号)が姿を現す。あそこが武蔵野変電所(小説では櫛流変電所)だ。

武蔵野線16号(旧80号)
武蔵野線16号(旧80号)


武蔵野変電所の貴公子
 武蔵野線最終鉄塔17号(旧81号)は武蔵野変電所の北西の角に立っている。武蔵野変電所には何度もやってきた。だから私にとってこの鉄塔はおなじみの鉄塔だ。
 17号に会う度、いつかきっと武蔵野線をたどるからと言い訳をしてきた。今日はいよいよ約束の日。改めてご挨拶をする。


 武蔵野線17号は鋼管を使った鉄塔だ。でも鋼管が細いため、鋼管とは思えない、とてもすっきりとした印象を与える。受けの腕金を下部の一方に長く延ばし、左右シンメトリではないところも気取っている。
 引き留め鉄塔というと何本も腕金を生やした、怪獣のような鉄塔が多い中、武蔵野線の最終鉄塔は送電線をスマートに捌いている。


 武蔵野変電所の北側は大小6本の引き留め鉄塔が並んでおり圧巻だ。
 武蔵野線の東隣には片山線の14号。太い鋼管を使った巨大で頑丈な圧倒される鉄塔。
 次に片山線の最終鉄塔15号、笹目線1号と腕金をたくさん生やした複雑鉄塔が続く。
 小ぶりのドラキュラ鉄塔は朝霞線1号、そして一番東に南からやってくる北多摩線125号が入る。これも折り返すように送電線を捌く複雑腕金を持つ鉄塔だ。

武蔵野変電所北側の鉄塔たち<br>左から朝霞線1号、笹目線1号、片山線15、14号、武蔵野線17号(2010/1/16撮影)
武蔵野変電所北側の鉄塔たち
左から朝霞線1号、笹目線1号、片山線15、14号、武蔵野線17号(2010/1/16撮影)


 個性豊かな引き留め鉄塔の中で武蔵野線のスマートさはとても際立っている。どこか秘めた特別な資質、まるで隠された貴公子のような印象を受けるのだ。

武蔵野線17号(旧81号)
武蔵野線17号(旧81号)


 これで今日の調査は終わり。昼食を抜いていたのでとてもお腹がすいた。辺りには商店が見当たらない。変電所の脇に小さなラーメン屋さんがポツンとあった。歳をとったおばさんが一人。猛暑だというのにクーラーなしの小さな店。そういえば映画の「鉄塔 武蔵野線」にもクーラーなしのラーメン屋が登場したなぁ。

註 片山線9号前後の武蔵野線の鉄塔番号は、今は武蔵野線11号―片山線9号―武蔵野線13号。現在は片山線9号が12号相当として鉄塔番号に数えられている。かつては武蔵野線76号―片山線9号―武蔵野線77号で、片山線9号は武蔵野線の番号には入っていなかったようだ。