矢口の歴史的遺物

相武線26号

 相武線との出会いは偶然からだった。
 先週、安方線を六郷変電所から辿り環八の横の1号鉄構に着いた。1号を踏んだ満足感に浸りながら、帰り道は千鳥線沿いに行こうと適当にバイクを走らせた。
 右手に千鳥線の門形鉄塔が現れるはずだ。チラチラ右手を見ながら走る。でも交差点ではちゃんと「みぎひだり」。ある交差点で「ひだり」を見たら道の彼方からドラキュラ鉄塔の姿が突然飛び込んできた。


 千鳥線とは明らかに方向違い。でもこいつは確認せずにはいられない。すぐに左折をして環八を渡った。


 環八の先、東急多摩川線の踏み切りを挟んでドラキュラ型鉄塔と変電所が待っていた。端正な形をしたドラキュラ型鉄塔には「相武線」の文字が。そして矢口変電所、そのすぐ先には東急電鉄新田変電所と新丸子線。新田変電所につながる新丸子線の最終鉄塔はとても面白い形をしているではないか。
 東急多摩川線武蔵新田駅は宝の山だったのだ。この日は新たなたくさんの課題を胸に帰路に着いた。


 それにしても「相武線」とは不思議な名前だ。JRの「総武線」は上総・下総・房総の「総」と「武蔵之国」の「武」。「相」は「相模」の「相」だろうか。気になる路線名だ。


 それから1週間、安方線を完全クリアしていよいよ相武線に取りかかる。スタートは矢口変電所だ。


 矢口変電所から線路を渡ってドラキュラの31号、ここで折り返し線路を再び渡って、マンション手前に立つ四角鉄塔の30号。スタート早々行ったり来たりご苦労なことだ。もっとも大変なのは送電線で鑑賞する私はとても楽ちん。踏み切りに立てばそのありさまがすべて見える。
 30号の先は美化鉄柱に変わって29号、ふたたび四角鉄塔の28号、その先の駐車場に同じような形の27号。ゆるやかにカーブを描く裏道沿いに進んでいく。


 この道は新田神社裏の土手下にあたる。たぶん小川でも流れていたのだろう。そんなゆったりとしたカーブだ。
 新田神社は、新田義興新田義貞の第二子)を祭り、破魔矢発祥の地だそうだ。平賀源内の歌舞伎『神霊矢口渡』で有名な地。何と時代は『太平記』ではないか。当時は送電線はなかったに違いない。(^o^)
 ここでようやく気がついた。地名や駅名の「新田」は武将の「新田」、読みは「シンデン」ではなく「ニッタ」だったんだ。


 ちょっと頭が良くなった気がしてルンルンと道を辿ると裏道から抜け出た。
 そして前方にはジャミラが待っていた。


 この小さなジャミラ鉄塔、おっ! これは間違いなく古い形だ。
 高さといい、鋼材の細さといい、補強材の入れ方といい間違いなく大正ですよ。
 よく見ると2段目の腕木がへこんでいる。これは鳩ヶ谷線で見た形だ。鳩ヶ谷線の同形の鉄塔は大正15年12月――東京内輪線開通の記念すべき年月が刻み込まれていたはず。
 期待に足早に近づく。


 近づいてまたまた驚いた。道の真ん中に中州――小さな緑地――があり、その真ん中に相武線26号は立っていた。道の上り線と下り線が鉄塔を避けて左右に分かれている。
 この道ができる前からここに送電線が立っていたのか。そもそも中州があってそこに鉄塔を立てたのか。それとも鉄塔は道路端に立っていたのが道路の拡張で中州として取り残されたのか。
 後先は分からないが相武線26号は道の真ん中にどんと立っている。


 道路を中州へ渡って鉄塔標札を確認する。期待通りに

「相武線26号 大正15年12月 26.1m」


 道の真ん中に撤去されずに立つ鉄塔。歴史的記念碑として大切にされているようでとても嬉しい。日光の太郎杉とか川越街道の五本けやきとか道路を曲げても残そうというものは良くあるじゃあないか。
 でも残念だがここのケースはそうではないのだろう。鉄塔を歴史的遺物として見ることのできるのは限られたごく少数の人だけだ。
 できればここの中州に「東京内輪線の一部を担った鉄塔」という碑を建ててやりたい。いや碑文はこうだ「東京内輪線の一部を担ない、現在も頑張って首都の電力を支えている鉄塔」だ。


 とても良い鉄塔を拝ませてもらった。幸せな気分で多摩川の方へ向かう。
 次の25号*1は広い駐車場の中。とてもノッポで立派なドラキュラ鉄塔。平成の作である。レトロ鉄塔の後にこんな現代的な鉄塔もなかなか良い。


 25号の先を曲がるともう多摩川の堤。川の手前に川越えの鉄塔が見えてくる。形は純正のII吊りジャミラだ。期待をして近づくが工場の中に立っていて近寄れないのが惜しい。
 背は高くなっている――といっても大きな河を渡る鉄塔としては低い、30m強といった程度か――そして古そうだ。いや絶対に古いと確信した。


 土手に上がって向こう岸を眺める。向こう岸にもこちら側と同じ形のジャミラが僕を誘っていた。そしてその先に「とんがり帽子」が続いている。送電線が川の上を低く垂れて渡っている。今は矢口に渡しはない。でも東京電力相武線はちゃんと矢口の渡しを渡っていた。


 残念ながら今日は時間切れ。戻り道を振り返ると清掃工場の煙突がとても高い。隣に立つ鉄塔が子供みたいに小さく見えた。


*1送電線』にこの鉄塔の元の姿が載っている。腕木を片方に伸ばした片寄り矩形鉄塔だ。現在の鉄塔標札には平成14年11月とあり、すぐ横の多摩川清掃工場へ地中線を伸ばしている。清掃工場への給電にともなって立て替えられたのかも知れない。