鶴川線(野津田公園から万松寺の谷戸、そして‘ならばい’谷戸)


 三日連続で多摩の横山。昨日の鶴川線の続きをたどる。鶴川駅から多摩センター行きのバスで湯船という停留所で下りる。目の前に京浜線3・4号線の鉄塔が。
 京浜線3・4号線1056号だ。隣の鉄塔は昨日見た赤白大鉄塔。番号は1054号だから1本飛ばしになっている。1055号は欠番だ。背の高い鉄塔を建てたので1本不要になったのかな。この1056号は街道沿いにやってきた送電線を西東京変電所のある丘に向けて重角度で曲げている。
 京浜線と別れて、昨日の続きの鶴川線に向かう。小さな丘をひとつ越えて野津田公園へ。北入口から山道に入り稜線に登ると昨日の続きの鉄塔、鶴川線34号。右手は谷戸になっていて、バラ園のようだ。季節のせいか花も葉もなくバラの棚がオブジェのようで面白い。その谷戸のどん詰まりに送電線が延びる。

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バラ園の奥の鶴川線34号


 鉄塔の先に踏み分け道が延びていたので進んでみる。木立を抜けると民家の庭先に出てしまった。谷筋の自動車道を越えて送電線が延び、次の32号が見える。公園から抜けると里山の生活感が戻って来た。

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鶴川線32号


 送電線は丘を登っていく。林の上から鶴川線31号が顔を出す。うん、いい感じだ。


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鶴川線 31号


 道を進むと急坂を下り谷戸へと出た。鶴川線は30号から29号へ広い谷戸を一気に、長径間で渡っている。小さな鉄塔なのに頑張っているなぁ。
 この辺り万松寺谷と書いてある。万松寺という寺があるらしい。由緒がありそうな感じなので見に向かう。
 万松寺は小さな寺。寺は南向きだが入口は東、石畳を鍵の字にたどって堂前に出る。石畳の回りは石庭になっていて、波が描かれている。小さいながらなかなかの風がある。
 縁起を見ると平安以前まで遡る話が書いてある。今の小野田城址の辺りに仙人が住んでいて、霊験あらたかな泉があった。小野小町がそこで眼病の療養をした。事の真偽は別として、古い古い時代からこの谷に人の生活があったのだ。
 本堂にお参りする。縁側に使い捨てカイロと甘茶と紙のお札。「おもち下さい」と書かれている。ちょっと心が温かくなった。

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万松寺


 次の29号に行く道が分からない。丘の上に行けそうな道を進むと新しく開かれた畑で行き止まり。谷戸の反対側に小さな道標を見つけ丘の上に登ると小野路城址に出た。お犬さまをまつった小さな祠にご挨拶をしてぐるっと鶴川線28号の展望台に出た。この鉄塔は以前来たことのある鉄塔だ。

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鶴川線 29号


 さて私の行きたいのは29号なのだが…。丘の下に続く農道を行く。右手に赤いテープを巻いた棒杭。これはこの辺りで見かける線下票だ。ままよとヤブに入り、ひどく荒れた竹林の中を下る。巡視路のようだがこれは荒れている。
 鶴川線29号は竹藪の中にあった。そこから道らしきものをたどるとさっきの農道に出た。


 やれやれ多摩丘陵は鉄塔巡視にヤブがつきものなのか。もう一度28号に登り返し、小山田線と鶴川線の分岐鉄塔、鶴川線27号を過ぎ、茶色の塗装が剥げかかった小山田線1号経由で小山田線2号に向かう。
 1号と同様茶色に塗られた小山田線2号は山道の脇に立ちフェンスなし。道をなおも進むと“ならばい”の谷戸に出た。

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小山田線2号


 小山田線は3号をまだ見ていないが今日はここでお終いにする。実はお墓参りがあるのだ。
 私の家のお墓がここのすぐそばなのだ。お墓参りのたびに南多摩線を遠望していた。それで今回は南多摩線をたどってお墓参りという趣向だったのだ。三日かけてようやくお墓に着いた。仏花を園芸店で買ってお墓に向かう。
 無事お墓参りをすませ唐木田の駅まで歩いて帰った。

写真:「ならばい谷戸から南多摩線26、27」へリンク
ならばい谷戸から南多摩線26、27号

鶴川線(鶴川変電所から野津田公園まで)

 昨日に引き続き今日も多摩丘陵を散策する。今日は鶴川変電所から南多摩線方向を目指す。線名は鶴川線だ。

 小田急の鶴川からバスで綾部バス停で降りる。この辺り京浜線や佐久間東幹線が通り、鉄塔銀座状態だ。
 鶴川変電所は街道沿いにある露天の変電所。奥に鉄塔が1基。小さな鶴川線43号鉄塔が立っている。

写真:「鶴川変電所 奥に立つのが鶴川線43号」へリンク
鶴川変電所 奥に立つのが鶴川線43号


 ここから鶴川線をたどる。次は42号。変電所から来た送電線を丘の上に曲げている。丘の上に登ると畑の隅に41号、フェンスなしのV吊り。ちょっとのどかな雰囲気になって来た。

写真:「鶴川線41号」へリンク
鶴川線41号


 丘を登りきると西東京変電所方面に鉄塔がたくさん並んで立っているのが見える。次の40号はぐるっと住宅街を回り道。
 これもV吊りで駐車場の中に立っている。この先で送電線はまた谷に下りる。送電線の先を眺めると、広い畑の中で3つの送電路が交差している。これはワクワクする。

写真:「鶴川線、京浜線3・4号線、東佐久間幹線の交差点。手前から奥へ京浜線3・4号線1053、1054号、線下の小さな鉄塔が鶴川線39号、奥に東佐久間幹線446号」へリンク
鶴川線、京浜線3・4号線、東佐久間幹線の交差点。手前から奥へ京浜線3・4号線1053、1054号、線下の小さな鉄塔が鶴川線39号、奥に東佐久間幹線446号


 最初に交差するのは京浜線3・4号線、そして佐久間東幹線との交差だ。京浜線の赤白鉄塔(1054号)がとても高い。丘の上には黄色い帽子の佐久間東幹線(447号)も青空にすくっと立ち素敵な姿を見せている。

 京浜線3・4号線1053号鉄塔の横で線を潜らせている小さな鉄塔が鶴川線の39号。フェンスなしの20.4メートルしかない鉄塔だ。隣の京浜線3・4号線1053号は72メートルの立派な鉄塔。2連耐張で碍子は22個、2導体。塔長が3倍以上違う鉄塔の対比が面白い。

写真:「鶴川線 39号」へリンク
鶴川線39号


 この鉄塔も背が高いが次の赤白鉄塔はもっと背が高そうだ。谷底に立ちぐーんと送電線を空に上げている。隣を並行して佐久間東幹線が進み丘に登っていく。京浜線はさらに上を進み交差しているのだ。これは高さを確認しなきゃ。寄り道をして谷底に下りる。
 京浜線3・4号線1054号は川崎街道沿いの建築資材置き場のようなところに立っていた。巨大な赤白鋼管鉄塔。高さは138メートル! これは私の見た鉄塔の中では最高だ(いままでは北総線7号の135メートルが最高)。立派です。

写真:「京浜線3・4号線 1054号 奥に1056号、丘の上は佐久間東幹線447号」へリンク
京浜線3・4号線 1054号 奥に1056号、丘の上は佐久間東幹線447号
写真:「京浜線3・4号線1054号の鉄塔札」へリンク
京浜線3・4号線1054号の鉄塔札


 少し腹が減った。道は立派だがコンビニもファミレスも見当たらない。これも多摩丘陵のど真ん中ではよくあることだ。しかたがないので先に進む。元の畑に戻り鶴川線を再びたどる。
 少し先、小さな畑の中に立つ小さな鉄塔。これが38号だ。フェンスなし。夕暮れの日だまりの中に静かに佇んでいた。高さは23.4メートルだ。
 いい雰囲気なので道ばたのビール箱に座ってゆっくり眺める。

写真:「鶴川線38号 奥は京浜線3・4号線1053号」へリンク
鶴川線38号 奥は京浜線3・4号線1053号


 座っていると近くの自動車修理工場の人が声をかけてきた。鉄塔の話をしばらくする。するとこの先、畑を伝って出られると教えてくれた。親切だ。
 次は佐久間東幹線との交差。佐久間東幹線は446号。電源開発の鉄塔だが碍子は白を使っている。同じ西東京変電所に入る只見幹線は茶色碍子なので、電源開発は碍子が茶色とばかり思っていたが、違うのかなぁ。
 佐久間東幹線の隣に鶴川線37号。これは21.9メートルとやはり低い鉄塔だ。果樹園かな、開かれた土地に立っている。これもフェンスなし。
 鶴川線は3本続けてフェンスなしの20メートルそこそこの鉄塔。何とものどかだ。


 畑を抜けると道に出た。野津田公園の入口がある。送電線は公園の中に吸い込まれている。
 鶴川線36号は野津田公園の中、薄暗い林の中に立つ。フェンス付きになった。送電線の方向に進むと35号。公園の広場の奥に立っていた。もう時間が遅く鉄塔の根本は暗くなっていたが残照が碍子をオレンジ色に染めている。
 35号からはすぐに公園北口駐車場へ出た。今日はここでお終い。坂を下ってバス停。ちょうどバスが来たので鶴川に戻った。
 巨大な鉄塔と20メートルそこそこの鉄塔。両極を楽しめた鉄塔散歩だった。

写真:「鶴川線35号」へリンク
鶴川線35号

小山田線(図師から日大三高まで)

 万葉に多摩の横山と呼ばれた多摩丘陵。すっかり開発が進み昔日の面影はなくなったが、今も少し残った里山と畑や田んぼ。そんな丘の連なりを冬の鉄塔散歩で巡りたい。西東京変電所から橋本まで、多摩丘陵を東西に結ぶ南多摩線とその支線がお目当てだ。
 南多摩線は橋本変電所の周辺や西東京変電所でも見ているが、途中の区間でも一度探訪している(→2012年3月20日の日記)。その時発見した鶴川線と小山田線を最初にたどりたい。鶴川線は橋本変電所から南多摩線に併架している線で、小山田線はそこから分岐する送電路線だ。


 町田からバスで図師大橋まできた。ここの図師変電所に小山田線がやってくる。
 図師変電所は道路に面した配電変電所。クリーム色のパネル囲み。変電所内には小山田線10号が立っている。

写真:「図師変電所と小山田線10号」へリンク
図師変電所と小山田線10号

 通りを越えて小山田線9号。見上げる高さの竹林に立っている。茶色に塗られ、竹林が鉄塔を侵食している。
 9号の西側に道らしきものありたどる。林に囲まれた畑の間をたどり終点に8号が立っていた。この鉄塔も茶色に塗られている。でも塗装は剥げていてちょっと惨めだ。

写真:「小山田線8号」へリンク
小山田線8号

 ここまでは道があったのだが、この先に行く道がない。果樹園だったと思われる開けた場所を突っ切って進む。道に出た。ぐるっと回るのが正解だったようだ。
 多摩丘陵谷戸と呼ばれる谷筋に入り込む水田が有名だ(今はほとんど畑などに変わっているが)。それを取り囲む山は広葉樹林で覆われている。山の中の傾斜が緩い場所には畑やら果樹園やらがぽっかりと現れる。隠された秘密の畑といった感じ。それらを踏み分け道が縦横に繋いでいる。これが多摩丘陵の典型的な里山風景だ。


 8から7号はとても長い径間がある。線に導かれて小さな谷戸に出たら7号が見えた。道脇に巡視路と思われる階段。でもまたその先には道がない。竹林に潜り込む。小山田線7号はうっそうとした竹林に囲まれていた。枝を潜って進むが脚元は悪い。こんなところを歩くとは予想していなかった。

写真:「荒れた竹林の中の小山田線7号」へリンク
荒れた竹林の中の小山田線7号


 荒れた竹林の急斜面を下って、少し開けたところに抜ける。小さな谷戸。畑の脇に道が通りその脇に6号が立っている。

写真:「小山田線6号」へリンク
小山田線6号

 線下から道が5号方面に延びている。進むとすぐに5号に出る。5号は重角度鉄塔。短い径間で鍵の字型に送電路を曲げている。どうやらこの先にある学校のグラウンドを避けているようだ。
 ここまではみんな丸土台でフェンスなし。それは嬉しいがたどる道が分からない。おまけに鉄塔の周りはうっそうとした林。どうも鉄塔めぐりには向いていないコースだ。
 5号から急斜面をまっすぐ下りると下界に出た。小さな住宅地造成だ。その先、日大三中・三高のグランド脇、法面に立っているのが4号。カモメ型の美化鉄柱。腕金が太くて短い感じ。そして谷筋の自動車道に出た。

写真:「谷の先には小山田線2号が見えた」へリンク
谷の先には小山田線2号が見えた

 谷を越えて向かいの丘の上に入るとその先が長くなる。時間も4時過ぎだ、帰ることにする。道にバスは通っているが1時間に1本。しかたないので図師大橋まで歩く。道の脇は畑が続く、焚き火の煙がたなびいて、丘の上に8号鉄塔が立っている。冬の里山、藪漕ぎが多くて閉口したが最後にいい景色に出会えた日だった。

写真:「小山田線8号」へリンク
小山田線8号

大阪に行きます

来週の月曜日、大阪で『ドボク』関連のイベントで話します。
関西の鉄塔ファンのみなさんとお会いできたらいいなぁ。
日曜日から火曜日まで大阪にいます。イベントに参加できなくてもご連絡いただけたら嬉しいな。

写真:「どぼくカフェ」へリンク
どぼくカフェ

大叉鉄塔

 大牟田市は三井炭鉱の街だ。その街の歴史的景観として鉄道の上を連なる送電鉄塔を残したいという相談があった。近代産業遺構というやつだ。写真を見るとこれが素敵な鉄塔たちだ。分類上は大叉鉄塔になるのだろう。路線名は「港三池旧線」というらしい。(この鉄塔たち鉄道ファンの方々によってたくさん紹介されている たとえば「コウさんのコウ通大百科 PART1」(http://blogs.yahoo.co.jp/kousan_1977/64858847.html)など 不思議なことに鉄塔ファンの紹介がない。頑張れ! 九州の鉄塔ファンさん!)
 この形の鉄塔と同じものが藤沢にあるとWebで発見(「絵寝雑記」http://omadragon.s1.xrea.com/cgi-bin/nicky.cgi?DT=20120904A)。大牟田は遠いが藤沢ならすぐに行かなければとバイクを走らせた。

用田線15号鉄塔

 目的の鉄塔は「用田線15号」鉄塔だ。地形図などで辺りをつけていたのですぐに分かった。自動車工場の中だが塀際に立っているので根本まで良く観察できる。
 なるほどこれは凄い。超おもしろい。超足長おじさん鉄塔ではないか。


写真:「用田線15号(遠景)」へリンク
用田線15号(遠景)
写真:「用田線15号」へリンク
用田線15号

謎解き

 しかしここに突如大叉鉄塔が現れるのは不思議だ。前後の鉄塔は通常の四角鉄塔。この15号も川を跨いでいるわけではない。
 謎はすぐに解けた。線下は何やら不自然な雰囲気がある。自動車が1台も止めていないコンクリート舗装の駐車場があったり、柵に囲まれた平屋建ての施設があったりする。施設をチェックする。「神奈川県内広域水道企業団 葛原供給点」とある。ふーん水道関係の施設か。

写真:「不自然な雰囲気」へリンク
不自然な雰囲気


 地形図を見直してみると青い点線が引かれている。これは農業用水や上水道の地下水路を表すマークだ。鉄塔ファンなら水力発電所の導水路でお馴染みのマーク。
 なるほどこの下には地下水道が引かれているのだ。鉄塔は地下の水道管を跨いで立っていたわけだ。
 地形図には「横須賀水道」と書かれている。家に帰って調べたらこれは歴史的な上水路だそうだ。軍都「横須賀」を支える水道は大正時代には愛川町半原(現在の宮ヶ瀬ダムのあるあたり)から横須賀まで約53kmの地下水路が引かれていたという。
 そんな歴史を知っていたらもっと詳しく調査したのだが、この時は面白そうなので少し上流側の水路上を歩いてみただけ。車通りを制限しているまっすぐな道が続き、神奈川県水道局のマンホールが点々と繋がる。その先にたしかに15号大叉鉄塔が立っていた。

写真:「地形図」へリンク
地形図(国土地理院 2万5千分の1地形図「藤沢」)
写真:「用田線15号」へリンク
用田線15号

「叉」の字

 このタイプの鉄塔は古い鉄塔の教科書に登場する。しかし「叉」の字がかすれていて「又」と区別が難しい。2角の「又」は原義は「て、みぎのて、みぎ」意味で後に副詞の「また、さらに、ふたたび」の意味に当てられた字。中に点が打たれた3角の「叉」は「指爪ではさむ形」が原義で、後に「交叉・分岐する状態」の意味になったという。「さすまた(刺股)」の意味もある。この鉄塔は「大きなさすまた」もしくは「おおきく分岐した」という命名だろうから「大叉鉄塔」と表記することにした。読みは「だいさてっとう」と読むのが自然だろう。

神田川の大叉鉄塔

 なお大叉鉄塔はかつて東京にもあったようだ。神田川沿いに淀橋変電所まで送電路が延びており、その神田川を跨いで鉄塔が連なっていたようだ。(『鉄塔見聞録』「歴史ある幹線鉄塔 66KV淀橋線」http://transmltkbr.sakura.ne.jp/soudenn66.html
 紹介されている写真は矩形の大叉型で用田線は四角鉄塔の大叉型と差がある。三池の大叉鉄塔にも四角鉄塔矩形鉄塔が混在しているが、写真で見る限りは送電路が曲がっている場所が矩形になっているようだ。

美化鉄柱もまた良し

 「土木技術」という雑誌で「ドボクマニアックス」という“ドボク”マニア執筆の連載がある。これを4ヶ月に1回書いている。今回は鉄塔の順番。テーマは美化鉄柱にした。
 美化鉄柱の写真を漁ったが思いの外少ない。やはり美化鉄柱だとがっかりして力を入れて撮らないからだろう。そこで近場の美化鉄柱ということで川世線に行った。
 成城学園から仙川まで歩く。かつては低いジャミラが続いていたこの区間は今はトラッド型の美化鉄柱の連続だ。トラッド型は通常のカモメ型よりすっきりしていて好きだ。
 47号から53号まで歩きながら考えた。「美化」などと価値を押しつけられるから反発するだけで、美化鉄柱もなかなかいいじゃないか。
 あまり疎遠にしないで、美化鉄柱ともちゃんと付き合おう。

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川世線51号
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川世線52号から若番