旧谷村線をたどる
相模湖へ急遽やってきた。おととい石老山に登る途中で何と有名な谷村線の鉄塔を見てしまったのだ。それで谷村線を訪ねてやってきた。
相模湖湖畔の鉄塔たち
天気はちょっと不安定となっていたが、予報通り突然すごい雨。仕方ないので相模湖湖畔の八王子‐上野原線(JR)と相模線を濡れながら見て歩く。
まずは湖畔の大鉄塔、八王子‐上野原線(JR)73。対岸から長径間でやってくる送電線を受ける大きな鉄塔だ。重ね餅型の腕金がJRらしい。
相模湖線は相模ダムの隣にある相模発電所から出発する路線。湖畔のジョナサンの後ろに立つ赤白の2号が整ったフォルムで美しい。高さが30.5メートルしかないのに赤白というのはどういう理由なのだろうか? 対岸にある3号も赤白だ。
相模発電所は相模ダムの下流側右岸にある。発電所の変電施設の鉄構がきれいだ。この発電所は神奈川県企業庁のもの。神奈川県は津久井・城山・相模とたくさん発電所を持っているのだ。
相模発電所まで行ったらようやく晴れ、いよいよ谷村線に向かう。
道ばたの302号
先日タクシーのなかからちらっと見た鉄塔に来た。石老山登山口へ向かう道ばたに立っている。
う〜んこれはすごい。長距離送電初期の鉄塔としてWebなどで見てきた鉄塔が目の前にある。碍子も送電線もなく、鉄骨は錆びてはいるがまさしく歴史の勇者だ。
小さい。高さは電柱より少し高い程度だろうか。
鉄骨も細い。主柱は74ミリ角8ミリ厚程度。
そして矩形鉄塔の中央に飛び出た架空地線用の長い角がとても良い。
腕金には碍子を立てた台と思われるものが残っている。配置は正三角形。これも歴史的な配置だ。
鉄塔札がついていた
東京電力 谷村線 大2.6
まさしく正真正銘、原型鉄塔。ぞくぞくするじゃないか。
私の興奮を無視するように、鉄塔はさりげなく道ばたに立つ。この小さな鉄塔が大正時代にはるばる目白まで電気を運んだ勇者だとは誰も気づかないだろう。
ちょっと大きな303号
まだ他にも残っているのだろうか。線が進んでいたと思われる方向、とりあえず東に行ってみる。
細い曲がった道を進むと小さな集落があり、その手前の道ばたに次の鉄塔があった。鉄塔札には303号とある。ちょっとした広場のような空き地に立っていて、写真を撮ったり観察したりするには最適だ。
302号にはツタが絡まっていたがこの鉄塔はきれいになっている。
腹材と主柱の接合は今の鉄塔には見られない工法となっている。等辺山型鋼を平らに延ばしてボルトで留めているのだ。塔体内の斜めに渡す鋼材も鉄の棒だ。
それにしても礎石はもうぼろぼろ。下部の斜材は土に埋もれてしまっている。
でも古いながらも大切に快適に過ごしている鉄塔に少し安心する。
推定308号 ツタの塔
2本目を見つけると3本目を見つけたくなる。3本目は丘の上に登っていくようだ。私も道沿いにぐるっと回って丘の上に。
う〜ん見当たらない。もっと東に行ってみるか。
丘の上からは新多摩線のどうどうとした赤白鉄塔が見える。あれだけ大きければ遠くからでも発見出来るが、何しろ私の探す鉄塔は20メートルない。ちょっとした林でさえ見事に隠れてしまうだろう。
ぽつんと残っているのではと川下の方に歩いているのですがなかなか見つからない。
小学校をぐるっと回って坂を下る。学校の敷地の外れにこんもりとふくれあがったヤブ。
じゃない! 全身をツタで巻かれた谷村線の鉄塔ではないか。
道から少しの距離なのだが密集したヤブがきつい。根本にたどり着いても結界も何もあったものじゃない。結界内部に大きな木が生えている始末だ。
残念ながら鉄塔札が欠け落ちていて何号か分からない。このまま自然に帰っていくのもよいが、せっかく公共的な場所に立っているのだ。モニュメントとして残しておきたいものだ。
丸太の補強
推定208号を後になおも老番側に歩く。川筋にでると八ツ沢線が見えてきた。
地肌の少し赤みが出た色、小さなたたずまい。うん、なかなかいい雰囲気の八ツ沢線だ。
根本に近づくと不思議なものが目に付く。電柱を利用したものと思われる丸太を、土台の周囲に回してある。丸太はしっかりボルトで留められている。補強なのだろうか。それにしても丸太の補強とは?! 初めて見た。
谷に立つ推定311号
八ツ沢線の50号の少し先に大きな川が南に入っている。その谷の入口付近、畑の中に堂々とした谷村線の鉄塔が残っていた。
少し大きい印象がする。トラスの「X」が4個ある。303号は3個、302号は2個だった。丘と丘を渡す中間の鉄塔と言うことで高さを上げたのだろう。
鋼材も太い。主柱は116ミリ角15ミリ厚。最初の302号が74ミリ角8ミリ厚だったから、1.5〜2倍くらい頑丈なものを使っている。
こうなるととても堂々としている。すぐそばに立つ現役の八ツ沢線50号よりも立派に見えるじゃないか。
かつての谷村線の見えない送電線をたどり視点を移していくと、丘の上の八ツ沢線51号が見えた。よく見ると塔頂に交差の注意マーク! これは谷村線との交差を示しているのではないだろうか?
秘密の広場
ここで一度バイクまで戻ることにする。帰り道は街道沿い。まだ見逃している鉄塔を探しながら行こう。
もしかしたらそう? 山の中に頭だけちょこんとほんの少し鉄骨が見えたような気がする。
小さな踏み分けを登ってみた。川筋から一段高いところに平らな土地が現れそこに八ツ沢線。
いやぁかわいい! とても小さな八ツ沢線の鉄塔だ。
バランス耐張で高さは18メートルのジャミラ。結界の一辺が1間半くらい、「四畳半鉄塔」ですね。
川から一段上がった平らな場所。今は使われていない畑だろう。まわりを木々に囲まれてちょっと秘密めいた広場だ。朝は雨が降っていたのにもうすっかりいい天気になっちゃいました。鉄塔も気持ちよさげです。
笹に埋もれた306号
おっと目的地は谷村線だ。畑の横に未舗装の林道風の道があったので入ってみる。するとあったあったあった。
道から少し入ったところ。ヤブをかき分け近づく。結界はこれまたヤブ。笹が密に覆ってあって入れない。もう枯れているが大きな松と思われる木が結界の中に生えているではないか。
ヤブをかき分け鉄塔を一周する。苦労の甲斐があったというものです鉄塔札発見。「東京電力 谷村線 306号 大2.6」の文字を確認する。
神様が見せてくれた304号
306号から少し登ると丘の上の畑と住宅が混在する地域。もう最初の丘の上まで戻って来た。さて下ろうとしてふと見つけたほとんど使われれてなさそうな道。方向が良さそうなので入ってみた。
案の定鉄塔を発見。
丘の上の林の中。ヤブはそんなにひどくない。つたが絡んで登り上げ、架空地線用のとんがり帽子で我が世の春のように枝を広げている。
残念、鉄塔札は見つからない。
道に戻ろうかと思ったが、踏み跡が少し先に続いている。これはショートカットかなと進むと途中で道がなくなった。
ママよまあ行けるだろうと下る。ふと横の林を見ると谷村線の鉄塔が目の前に。
探して見つけたのではない。私の探していたのは下る道だ。偶然だ。神様がほほえんでくれているような気がする。
谷村線304号は山の中腹、林の中に埋もれている。でも鉄塔札がちゃんとあります。「304号」! 結界の中は大きな木が2本、太い竹も立っている。ツルも絡まっている。それでもちゃんと鉄塔は立っていた。100年前ですからね、100年前。すごいことです。
322号 スイッチの家
やあ出発点に戻って来ました。ああくたびれた。ヤブのひどさには参りましたね。
日暮れにはまだ少し時間がある。今日調べた先をバイクで偵察することにした。街道のガソリンスタンドで給油。ふと屋根の上を見るとそこに鉄塔が。
橋本から相模湖へ抜ける国道沿いに旧谷村線があるとは驚いた。今日はついている。ガソリンスタンドに寄らなければ見損なうところだった。
鉄塔は相模川のほうへ向かっているようだ。新多摩線54号の横を通り相模川沿いの鉄塔へと向かう。
旧谷村線322号は畑の中の道沿いに立っていた。農家の小さな植え込みがありその木々の間に立っている。残念なことに鉄塔札は失われているが前後の関係から322号であることは間違いないだろう。
対岸には赤白の巨大な新多摩線56、55号が相模川に降りてくる。1980年の新多摩線と1913年の谷村線。70余年の時を越えた風景だ。新多摩線の巨大で力強い姿、旧谷村線の何と自然でのどかな姿。どちらも美しい。でも旧谷村線は何故か胸がキュンとしてしまうんですよね。
写真を撮っているとおばさんが出てきて話しかけてきた。鉄塔を撮っているのだと話すと「おじいさんが生きていたらねぇ」という。
この家は屋号を「スイッチの家」と言って送電関係の仕事をやっていたのだそうだ。この辺りの地形に詳しいので鉄塔の位置などを調査したらしい。とすると谷村線を作った関係者なのだろうか。
「スイッチの家」という屋号は何だ。「スイッチ=開閉所」という連想が浮かび上がってきた。
相模川を越えるこの地点に開閉所のようなものがあったことは想像に難くない。
そう考えて322号鉄塔の姿の特異点が見えてきた。この鉄塔には他の鉄塔にはないもう1本の腕金があるのだ。
下向きに大きく突き出した腕金。これをどう使うのかは分からないが、何らかの機能があったに違いあるまい。
う〜ん、今日は思わずうなることばかりに出会う。
相模川右岸 323号甲乙
相模川へ向かう。ここの相模川は両岸が狭まり、高い崖に挟まれている。崖の下は沼本ダム。城山ダムの水によって半分以上水没しているという不思議なダムだがかつては津久井発電所の水源だったらしい。ここは電気つながりが多いところですね。
対岸も崖。そして急斜面で山が迫っている。距離は崖の上で200メートル程度だろうか。ここなら長い径間をとらないで済む。送電路としては絶好の渡河地点のようだ。
道から少し下流へ入ると畑の際に夕日に照らされた川越の鉄塔があった。
川(老番)に向かって左に甲、右に乙の2本に分かれている。形は鉄塔というより「やぐら」と表現した方がいいかも知れない。4本の主柱をピラミッド型に組み合わせただけ。
腕金は1段。塔頂部にも碍子を付けたと思われる部材があるから、やはり送電線を正三角形に配置したようだ。ちょと待て。谷村線お得意の架空地線はどこに付けるのだ。
何故か塔頂部から横に棒が飛び出ている。これに架空地線を付けた?! これでは地線の意味がないではないか。それならこの部材は何の役にたっていたのだ。分からない。
往事の詳細は分からないが、この鉄塔がここに立ち、東京へと送電線を受け渡していたことだけは確かだ。たかだか200余メートルといえど谷村線としては特別な長径間。重要な仕事を任された2本の鉄塔。どこか自分の仕事を誇っている風にも見える。
見通しが効く崖の上から対岸を眺めたが、送電線を受け取るべき鉄塔は見つからなかった。失われてしまったのか、それとも木々の間に隠れているのか。
最初は何本か残っているだけと思ってやってきた。ところが思いの外大規模に残っているではないか。開閉所の存在も浮かび上がる。そして形もとても素敵だ。これは大変なものに出会ってしまった。