安曇幹線 最若番の282号へ 【多くの写真が見つかりませんでした】
「安曇幹線」「安曇幹線1号線」「安曇幹線2号線」
何で突然「最若番」なのか? まだゴールは遙か遠いだろう。これをまず説明しなければならない。
安曇幹線は3つの路線に分かれている。「安曇幹線」「安曇幹線1号線」「安曇幹線2号線」だ。
昭和44(1969)年に最初にできた安曇幹線は、安曇発電所から新所沢変電所までを結んでいた。これが現在の「安曇幹線1号線」と「安曇幹線」に当たる。
12年後の昭和56(1981)年、安曇幹線の南側に新ルートが完成する。これが「安曇幹線2号線」だ。2号線の終着点は新設された新秩父開閉所になった。
その1年後、昭和57(1982)年に元の安曇幹線は「安曇幹線1号線」と名称が変わり、終着点は2号線と同じ新秩父開閉所に変更された。
そして新秩父開閉所〜新所沢変電所間は分断され、「安曇幹線」という名前のまま休眠することになる。282号鉄塔から391号鉄塔までこう長37キロ、鉄塔数110基が遊休路線の「安曇幹線」だ。完成から10数年という短い時代を担っただけで休眠した数奇な運命をたどったのがこの区間の「安曇幹線」なのだ。
まぎらわしいので今後は、単に「安曇幹線」と表現した場合はこの3つの全体を指し、遊休路線部分は「旧・安曇幹線」と呼ぶことにする。そして、生きている安曇幹線は「安曇幹線1号線」、「安曇幹線2号線」と呼ぶことにしよう。なお昭和44年当時の安曇幹線を指す場合は「元々の安曇幹線」などと書こうと思う。
私の安曇への旅はもともとの安曇幹線をたどる旅。今までたどってきた安曇幹線は(遊休路線の)旧・安曇幹線。そしてこれからたどる安曇幹線は安曇幹線1号線だ。
新秩父開閉所へ入る安曇幹線
さて、今日は安曇幹線1号線をたどり始める。そして旧・安曇幹線の最若番地点に到達する予定だ。
新秩父開閉所に入る安曇幹線1号線は安曇幹線2号線258〜260号に併架されている。単独鉄塔は谷を越えた240号からだ。これらの鉄塔は安曇幹線としては珍しい四角鉄塔だ。
安曇幹線1号線は、谷底から標高にして250メートルほど上を、谷と平行に通っている。新秩父開閉所ができる前、安曇幹線はここを単にスルーしていただけだ。
だから谷側の安曇幹線1号線240号から山の上237号までは、新秩父開閉所に接続するために新設されたものに違いない。
新秩父開閉所を過ぎて間明平へ向かう。紅葉の谷の向こうに安曇幹線2号線が両神山を背景に、大きなカテナリー曲線を描いている。
安曇幹線1号線を登る
安曇幹線1号線の線下に来ても、なかなか巡視路標識が現れない。擁壁の上に上がる道があったので林の中を強引に直登する。案の定巡視路が左から登ってきた。入り口はもっと先だったようだ。
しばらく行くと「安曇幹線1号線 240に至る」と書かれた巡視路標識があった。ようやく念願の「安曇幹線1号線」の文字を見ることができた。
杉林のつづら折りを汗をかいて登ってきた。一仕事です。下で見たときはすぐそこだったのに、見ると来るじゃ大違い。おっと山道の向こうに白いものが、ああ鉄塔です。30分弱の登りだ。
安曇幹線1号線240号。これが安曇幹線1号線の最老番の単独鉄塔だ。鉄塔札には「昭57.6 63m」と書かれている。安曇幹線が分断され、新秩父開閉所に付け替えられた年だ。
鉄塔は烏帽子ではなく四角鉄塔。安曇幹線1号線では唯一の四角鉄塔になるのだろうか。急な斜面に丸土台。2本の脚を下にシューと伸ばして立っている。土台を据えるのに上側の山を掘削して擁壁を作ったり、そうとう強引な立ち方ですねぇ。
黒部幹線に寄り道
前回はフリースを着ても登れるぐらいだったのに、今日はシャツもいらない。長袖の下着だけになった。木の間から236号が見える。2連耐張のとんがり耳だ。
とても明るい尾根に出た。出たとたん目の前に239号がドカーンと正面にそびえて、左手には黒部幹線、奥には白石山の岸壁を背景に237号が埋められたように立っている。
道は20分ほどで黒部幹線631号へ出た。?吊りのシンプルで、細くて、小さいジャミラだ。
なおも進むと道は尾根から少し左へずれ、次の尾根へトラバース。T字路に出る。すぐ下に黒部幹線の鉄塔があるので寄る。
黒部幹線630号。ペンキの塗装記録がある。「612号〜630号 竣工 昭和59年9月」。ずいぶん長い期間保守されていないんですね。
隣の629号がよく見える。気持ちの良いところなのでここでにぎりめしを一つ食べてゆっくりする。対岸の安曇幹線2号線もよく見えるが、残念! ガスが濃くて写真にはならない。
(続く)