萩原朔太郎が住んだ鉄塔

駒沢線61号

 駒沢線61号の脇に萩原朔太郎が住んでいたという。
 レィルセブンさんの「浮遊的物語世界的日記」http://blog.livedoor.jp/rail777/
の7月2日から7回に渡って「萩原葉子と駒沢線鉄塔61号」と題された文が載っている。http://app.blog.livedoor.jp/rail777/tb.cgi/26963693


 駒沢線は歴史ある鉄塔。かつて東京内輪線の一翼を担い帝都の電力を支えた鉄塔達だ。この61号は駒沢線の中でもユニークな1本。鉄塔の内側に階段(梯子?)が付いているのだ。

 朔太郎はここの眺望と東側が鉄塔で家が建たないという理由で新居を構えたという。昭和8年のことだから、鉄塔が立ってから丸7年、今は黒っぽくなった鉄塔も白く輝いていたのではないだろうか。さらに先日故人になられた朔太郎の娘、作家萩原葉子氏がこの鉄塔に登ったという。

私は高圧線の鉄塔の中途で足を押さえられた。日暮れを待って、頂上目がけて夢遊病社みたいに登った私は与四郎に見つけられ、引きずりおろされたのである。
 萩原葉子 蕁麻の家 1997年 講談社学芸文庫

 今では塀と鉄条網で中に入ることはできないが、当時は鉄塔下に入れたのだろう。内側の階段も当時からあったのだろうか?


 朔太郎も氏の青猫についてこう書いているらしい。

「都会の空に映る電線の青白いスパークを大きな青猫のイメージに見てゐるので、当時田舎にゐて詩を書いていた私が、都会への切ない郷愁を表象している。」(「定本青猫」萩原朔太郎 日本詩人全集14 新潮社 昭和四十一年刊)

 生まれ育った土地だ。駒沢線が立ったころの代田の丘はどんなだったのだろうと思いを馳せていた私だが(id:sarumaruhideki:20050103)、61号鉄塔の鉄塔下にこんなドラマがあったとは…
 『蕁麻の家』読んでみようかな。


 レィルセブンさんは11月23日の日記で「拝啓東京電力様」と題して61号鉄塔の保存を訴えている。
  http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/50211536.html

蕁麻の家 (講談社文芸文庫)

蕁麻の家 (講談社文芸文庫)