篠崎線跡地巡り
篠崎線はかつて住んでいた場所からほど近くにある送電路だ。
2008年頃、篠崎線は3号から8号までが除去され、地下化されてしまった。除去された以降は訪ねていなかったので、今日はその跡地を訪ね、思い出の写真を引っ張り出してみた。
篠崎線8号
現在、篠崎線の最若番になる鉄塔は8号。かつては矩形の片寄り鉄塔が立っており、環七沿いにその特徴のある姿を見せていたのだ。背の高いなかなかかっこよい鉄塔だった。片寄り鉄塔を初めて見たのはたぶんこの鉄塔だ。
その8号が地中線を下ろす美化鉄柱になった。背が高く、前後振りわけで送電線を引き下ろす姿はなかなか格好良い。
旧鉄塔:平成1年12月 54.7m 新鉄塔:平成19年5月 59.9m
篠崎線6号
このあたりは大規模な区画整理が行われた地域だ。初めて歩いた2004年ころは区画整理の真っ最中だった。すっかり風景が変わってしまって、当時の記憶がはっきりしない。
どちらかというと暗く沈んだ街だった印象があるが、いまや若い夫婦連れが歩き、自転車がさわやかに通り抜ける。何しろ家がみな新築なのだ。そして6号の前に公園が、隣にはたい焼き屋さんができた。
6号の結界はコンクリートで打ってあったが、何故か結界の真ん中が膨らんでいる。たぶん水はけを考えた施工なのだ。このタイプの結界を初めて発見したのがこの6号かもしれない。今では類型をたくさん発見してマウンド型と呼んでいるのだが、当時のメモに「結界の真ん中が膨らんでいる。何故だろう?」と書かれている。
目の前が公園になって、足元まですっかり全体が撮れるようになった6号も今はない。跡地は空き地。工事用のパイプで囲まれていた。隣のたい焼き屋さんも店をたたんだようだ。
旧鉄塔:昭和33年7月 31.7m
篠崎線5号
ここは区画整理事業の事務所があった場所だ。小さな路地が入り組んだ地帯だった。
4号から5号へ向かう道がまったくなく。何百メートルも迂回しなければならなかった。それが嫌でアパートの裏をこっそり抜けたり、畑の隅を通り抜けたりした思い出は昔のこと。今は立派な道が通じている。
5号のあった場所は小さな公園に変貌していて、鉄塔の痕跡はきれいに消えていた。
旧鉄塔:昭和33年7月 31.7m
篠崎線4号
道にはみ出す鉄塔、それが4号鉄塔だった。もちろん道にはみ出して建てたわけではなく、道のほうが拡幅したのだろう。この先の金魚屋さんによく通った。手前のスーパーにもよく来た。鉄塔は広い畑が残る地域の外れに立っていたから、新大橋通りからもよく見えた。
すでに鉄塔は除去され、道もまっすぐ通っていた。跡地はやはり公園になるようだ。
旧鉄塔:昭和33年7月 35.5m
篠崎線3号
とても小さなドラキュラ鉄塔、篠崎線の引き留め鉄塔だ。篠崎線はこの3号鉄塔で地下に潜っていた。面白い形をしているので、鉄塔に興味を持っていなかった時にも、この鉄塔だけは写真を撮っている。
引き留め3号は背は低いながら、個性溢れる姿で、この辺りのランドマークだった。鉄塔がなくなり、風景から中心点が失われ、平板な街だけが残っている。
跡地は緑フェンスで囲まれて敷地はそのまま。鉄塔のあった部分は同じ砂利引きで、地中線入口だった鉄板の蓋も残っている。
近場だったので何度もたずね親しんできた鉄塔たち。彼らがいなくなった見知らぬ空、少し寂しい。