旧谷村線―残存する原型鉄塔

 日帰りで安曇幹線へ行こうと思っていたのだが寝坊。山仕度を無駄にするのも何なので旧谷村線(やむらせん)の残存鉄塔調査へ行くことにする。

旧谷村線原型鉄塔群

 『西に行こう』プロジェクトは旧谷村線のルートをたどる旅だ。しかし、目白変電所、そして駒沢線から延々と続いてきた旧ルートは、八王子の小比企線30号鉄塔でなくなってしまう。


 しかし、その先にお宝が待っていたのだ。八王子から相模川を越えて相模湖南岸付近まで大正2年の原形鉄塔がそのまま残っているというのだ。
 この区間が廃止されたのは昭和30年代とのこと、残っているのは鉄塔だけだが。


 今年の春、偶然この谷村線の鉄塔の脇を通ることがあった。そして相模川南岸の現存鉄塔をざっと調査した。
 何と魅力あふれる鉄塔たちだろう。畑の中に突然現れる鉄塔。山の中でツタに全身をくるまれた鉄塔。大正2年から100年近く立ち続けもう風景と同化している鉄塔たち。

 帰宅をしていろいろ調査した。旧版地形図で旧ルートを調べ、Google Mapで周辺を調べる。そして浮かび上がってきたのが「旧谷村線原型鉄塔地図」だ。
 鉄塔らしき形が八王子側に40本弱、25本ほど確認できるではないか。これはすごい。


 しかし問題があった。ほとんどの鉄塔は道のない山の中。全身を木々やツタに覆われた鉄塔は発見すら困難だ。まして根本に行くにはひどいヤブを漕がなくてはならない。夏ではとてもやりきれない。冬の楽しみとして残しておいたのだ。

最老番の現存鉄塔

 旧谷村線のルートは現在の小比企線30号までは一致している。今日はその先を調査する。
 事前に昭和23年の地形図でルートをマッピングGoogle Mapでも怪しげな四角いマークをチェック済みだ。


 町田街道と北野街道の交差点からすぐ、病院の上空を谷村線が通っていたはず、そして北の丘の上で曲がって、現在の小比企線30号へと繋がっていたようだ。


北野街道 この上空を旧谷村線は通っていたはずだ


 病院の周辺は何もない。丘に登り小比企線30号まで行って見る。鉄塔もその跡も当然のように見当たらない。丘の際を行く道を発見。この道沿いに建てたのかななどと思う。
 丘を下りるとちょっと古そうな道筋を発見。入ってみる。


 小さな祠があった。Googleで、ルートから外れてはいるが鉄塔かも、とマークしていたのはこれか。とてもいい雰囲気だ。


地図上の小さな四角の正体


 道は拓大入り口交差点に出た。町田街道を渡り少し先で最初の旧谷村線鉄塔を発見。調査どおりだ。
 小さな川の向こう側、急斜面の上だ。木に隠れてほとんど見えないが明快に鉄塔だ。


旧谷村線 番号不明1号 川から見上げる
山の尖ったところに鉄骨が見えるのだが、肉眼でもまず分からない
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 木の根につかまって登っる。道らしきものがあるがほとんど藪。
 近づいても木や竹が覆い被さりほとんど鉄塔が見えない。尾根を外して急な斜面に無理矢理建てている。竹をかき分け何とか一周したが、鉄塔札は発見出来ない。回線番号らしき「2」と書かれたペイントが主柱に残っていた。「旧谷村線 不明1号」と記録することにした。


旧谷村線 番号不明1号


 鉄塔札はないがこの特色ある形、間違いなく旧谷村線の鉄塔だ。これが残存する最老番の鉄塔ということになるだろう。


 鋼材の計測をしてみる。主柱は75ミリ角9ミリ厚。とても細い。斜材に至っては25ミリ角の3.5ミリ厚しかない。


 西側の1本に来た。こちらのほうが少し藪が薄い。鉄塔札らしきものがあったがまったく消えて見えない。「旧谷村線 不明2号」と記録しよう。


旧谷村線 番号不明2号

旧谷村線 番号不明2号 これは鉄塔札だろうか?

中沢川の345号

 小さな山に大苦戦して戻るともう3時過ぎ、これから山には入れない。山仕度もほとんど無駄になった。夕方までの短い時間を利用して事前に道から見えることを確認していた「うかい鳥山」の先に行くことにする。


 道を何度か間違えてようやく到着。JRの八王子‐上野原線の鉄塔と旧谷村線鉄塔が並ぶ谷に出た。


旧谷村線 345号


 駐車場のわきに立つこの鉄塔。主柱にマジックで「345 4」と書かれている。老番側にも若番側にも同じ記述がある。これが塔番号だろうか。誰が書いたものだろう。最後の「4」の意味は分からない。


旧谷村線 345号


 相模川の南に立っている鉄塔が323号。私の予想ではこの鉄塔は345号となる。まさにドンぴしゃ。「旧谷村線 345号」と記録しよう。


 八王子‐上野原線の鉄塔が静かに横を通り抜けていた。この辺りは旧谷村線とJR線がほとんど並行している。
 国土地理院の地形図を年代別に調べると、昭和23年には谷村線だけが、昭和41年にはJR線だけが描かれ、両方が並立した時代があったかどうかは不明だ。でも旧谷村線もJRも相武国境越えに同じルートを使っている。(最近出来た新多摩線相模川を越える場所は谷村線と同じだ。)


 八王子方面から相模川に出るルートとしては旧甲州街道沿いの小仏ルート(駒橋線)、現在の甲州街道沿いの大垂水峠が有力だ。陣馬山和田峠も有力候補だろう。でも距離だけを考えれば、この中沢川沿いを詰めるのも悪くない。
 実は中沢川を詰めると相模川の断崖の上に出てしまう。人間の通路としてはまったく向いていない。でも送電線なら川の上をひとっ飛びだ。


八王子‐上野原線(JR)44号


 もう日は落ちて谷の向こうの夕焼けだけが明るい。暗い谷間で防寒対策をして中央道へ向かった。