上越国境

 ここで少し解説をしておこう。
 国道291号というのは国道ファンなら誰でも知っている有名な点線国道。つまり自動車が通れない国道の一つなのである(新潟側は徒歩の道も廃道となっているらしい)。


 越後と上州を結ぶ道としてはもっとも距離の短いのが清水峠越えだ。(現在の国道17号三国峠を大迂回する。国鉄清水トンネル関越自動車道も清水峠のすぐ横の谷川岳直下をトンネルで抜けている)
 明治の新政府は1885年(明治18年)8月、ここに国道を設置する。これが旧国道8号(通称清水国道)だ。馬車が往来できる本格的な道だったようだ。


 ところが完成直後の10月には長雨による土砂崩れが発生、降雪期に入り各所で雪崩、雪解け後には既に馬車の通れる状態ではなくなっていたらしい。長い間放置された後、一旦国道指定から外され、戦後に入り国道291号として再指定されたものの、現在に至るまで廃道のままである。
 国道指定から100年以上の期間、開通していたのが数ヶ月だけという日本の国道史に類例を見ない道なのだ。


 清水国道については以下のサイトに詳しい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B3%A0 Wikipedia 清水峠
http://yamaiga.com/road/shimizu/main.html 道路レポート 清水国道


 名にし負う上越国境。国道も越すのが大変なら電気も越すのが大変なのだ。
 上越国境に送電路が建設されたのは大正年間のこと。東京電燈は「信濃川水系の大電力を東京へ輸送する目的」で上越送電線を計画。中津川発電所と前橋を結ぶ第1期工事が完成したのは1922(大正10)年12月。


 ところが

1923年(大正12年)群馬新潟県境(上越国境・高石山)付近で積雪沈降のため
鉄塔の一部が座屈する事故が発生、急きょ送電ルートの変更を余儀なくされ、鉄塔26基の移設及び改造を行いました。

「送電鉄塔見聞録」


と開通直後に事故が起こる。高石山は三俣神楽スキー場の西にある山だ。どうやらこのルートは現在の東京電力と同じ三国峠ルート(国道17号ルート)だったようだ。


 『東京電燈開業50年史』にも以下のような記述がある。

「尚三国峠以北は比類なき降雪地帯に当たるので、上越線を建設するかに就ては相当雪害に対して調査せるにも拘わらず、積雪の凝結の為め鉄塔の挫折、雪波に因る鉄塔の倒壊、積雪落下に因る上下電線の接触停電等大雪に対する送電技術上幾多貴重なる経験を得たことであった。」


 それから10数年後、昭和10年代に入り鉄道省がこの上越国境に挑戦する。JRの信濃川送電線だ。JRの選んだルートは清水峠。信濃川発電所からの送電ルートを難度の高い清水峠としたのは鉄道ルートに近いためか、距離が短いためか、それとも東京電燈の事故からの教訓か?


 どちらにしてもこの送電ルートは生半可なものじゃない。峻険な山と谷、過酷な自然環境。JRは送電線監視小屋を清水峠に建設し、2回線を別々のルートにわけるなど万全の体制でこの峠を越えている。