微妙な距離感

駒沢線33号稲荷

2008/01/19の4)
 テットウ広場を後に丘を少し下ると33号。マンションの角に立つ35メートルの高めの鉄塔。鉄塔の根元にお稲荷さんが祭られているのが面白い。


 33号から若番側を見ると環七の角に次の鉄塔が見える。とても太い鉄塔だ。32号は地中線を引き下げる個性的なゴツイ鉄塔だ。地中線はどこに向かうのだろうか。(なお建造年は平成8年でこの鉄塔には併架の跡は見られない)

駒沢線と駒沢変電所


 ところで送電路の名称には終着の変電所の名前が使われることが多い。だから駒沢線は駒沢変電所が終着地だと思っても当然だ。でも駒沢線と駒沢変電所は少し離れて建っている。距離にして5、600メートルほどだろうか。
 地図で見ると何と駒沢線が駒沢変電所を避けて迂回しているようにも見えてしまう。真っ直ぐ延びていれば変電所を通るというのに!!


 古い電気の路線図を見るとやはりふたつは結ばれていない。この微妙な距離感は不思議だ。


 駒沢変電所は都南線の最終変電所だ。現在の都南線は川崎の南武変電所から多摩川を越えて駒沢変電所まで結ぶ送電路だがその歴史は古いようだ。
 古い路線図には駒沢変電所に来る送電線は東京電燈ではなく富士電力の送電路と書かれている。富士電力は富士紡績の発電部門という面白い出自を持った電力会社だ。酒匂川上流の峰発電所から駒沢変電所までやってきて東急電鉄へ電気を売っていたらしい
 駒沢線は東京電燈の路線だから別会社。それならこの微妙な距離感は理解できる。。

富士電力


 でも現在の駒沢線と都南線はしっかりとつながっている。32号の地中線の入り口には「駒沢線No.32(鉄)〜駒沢(変)6万」と書かれ、地中線が駒沢変電所へとつながっていることが分かる。そしてその地中線の呼び名も「都南線」だ。

続く

*古い路線図は『東京電燈株式会社開業五十年史』(昭和11年発行)の中から「京浜地方送電系統変遷図」のうち昭和11年5月末現在の図を部分拡大した。