昭和11年
(2007/4/30の6)
代掻きをしていたトラクターがやってきた。農道はとても狭い。すれ違いは不可能。バイクをよいこらしょとどける。それがきっかけでおじさんとしばらくお話。
「鉄塔を撮っているんです」「いろんな趣味があるねぇ」「この電柱はすずらん柱って言うんですよ」「なるほど普通の鉄塔より面白いねぇ、農作業には邪魔なんだけどね」と話が進む。
「この線は古いよ」「出来たのは昭和11年らしいです」「龍ヶ崎には軍需工場があったからね」という。
利根浄化線の「浄化センター」という名称は下水の処理施設だが本来は軍需工場に電気を供給するための線だったのかしらん。昭和11年にこの近辺で何らかの電気需要が起こったのだろう。
帰ってWebで調べると軍需工場ができたのは昭和12年らしい。砲弾などを製造したということだ。(http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/kikaku/018/34.htm)【リンク切れ】
鉄塔が出来た年の2月には二・二六事件が勃発。工場が出来た翌年には盧溝橋事件。すずらんに似た可憐な鉄塔に似合わない暗い話題だ。すずらん柱たちはどんな気持ちで電気を運んでいたのだろうか。
もうすぐ日が沈む。すずらん柱を求めてあぜを歩く。総出で繰り出していたお百姓さんもほとんどいなくなった。
田は闇に溶け、世界が夕空だけになる中、すずらん柱は美しきシルエットをくっきりと空に描いた。70年そうしてきたようにさりげなく真っ直ぐに。蛙の鳴き声が辺りを包み込んでいる。
(2007/4/29の日記 終わり)