碍子の上で中華はいかが?

アメ横プラザ

 アメ横ついでに旧国鉄上野変電所があったという「アメ横プラザ」を見る。アメ横センター前のガード下。ここに変電所があったことはアメ横の歴史について書かれたページで存在を知った。

現在のアメ横は、戦時中、ガード下の変電所を守るために住宅を強制疎開させた空き地だった。(『東京絵の具』)
http://blog.goo.ne.jp/sharpsony/e/1699c2e6c9e394e9f975ae8055cece83
変電所がアメ横発祥の遠因だったとは!!


最初に入ったのが上野変電所で、アメ横に面するガードのあたりにありました。(『駅の記憶』)
http://ekitan.com/kioku/ueno/memory.shtml
戦後も変電所はあったんですね。


東京消防庁から“防災危険地域第一号”のレッテルを貼られた。だが、どうすることもできない。(中略)助けてくれたのは国鉄である。幸い、国鉄が変電所跡(約二千平方メートル)を貸してくれるという(『上野商店街連合会公式サイト"e-うえの"』)
http://www.ueno.jp/modules/xfsection/article.php?articleid=15
幸運にも前面ガード下国鉄変電所後(現アメ横プラザ)の利用 が可能となり(『アメ横センタービル』)
http://www.ameyoko-center-bldg.com/about/index.html
変電所跡は「アメ横プラザ」!!


 雑踏の中、何か変電所の痕跡がないかと探す。
 線路からケーブルの束が下りてきてプラザの中を通過し反対側から線路に戻る。これが変電所の痕跡と言うのは無理があるか。
 壁から直接出ている切断されたケーブルの束。でも送電線にしてはちょっと細い。
 壁に何かの穴を塞いだ等間隔の痕跡。あの位置にプッシュが並んでいたのか。妄想だけが膨らむ。

壁から出るケーブル 壁に四角い跡が
高架の上の鉄構

 線路を見上げると鉄構がある。これは架線への給電用に使われる形、鉄道の変電施設付近には必ず登場する。これはけっこう有力だ。鉄構には「昭和31年3月」と書かれていた。ちと新しいかな。


 無駄な努力はおしまい。昼飯にする。変電所があった「アメ横プラザ」の中にある中華料理屋「新東洋」。この店、狭い通路の奥から2階に上がる。まず発見できない穴場的な店。仕事でお世話になっているS氏から教えてもらった。
 今日頼んだのはニラレバつけ麺、750円。量がすごい。食べきれるだろうか。
 悪戦苦闘しているとすぐ頭上を車輪の低い音が響き、突然、碍子の上でつけ麺をすすっているような気分になった。何故か幸せな昼飯だ。