芦川内匠 落ち穂拾いの旅 2

足立線旧324号(2004年撮影)

5月6日の日記の続き)
 落ち穂拾いの旅は忙しい、JR線が済むと葛飾から足立へ向かう。これも変電所の名前を確認するため。記憶はあるが記録がない。写真は残っているのだが肝心の表札を撮っていない。
 足立線でもっとも個性溢れる鉄塔324号に着いた。
 あれ! 家が出来てる。鉄塔の前にあった畑に新築の家。もっともカッコ良く見える位置からは足元が見えなくなってしまった。ぐるっと回る。おや27号? 番号が違う。番号も付け替えたらしい。


 足立線は花畑変電所に立つ最終鉄塔が329。とても大きい数字を使っていた。
 番号を1から振らないケースはたまにある。野方変電所からでる野方線、これは200番始まりだ。また練馬線の田柄変電所から出発する鉄塔は223号。これも数が大きすぎる。
 野方線は練馬変電所の手前で地下にもぐる。その番号が212番。練馬変電所を挟んで延長線上にある練馬線が223号。野方線と練馬線は連番だと考えると納得できる。野方線と練馬線は同じ線だったのだろうか。
 足立線も何らかの事情で大きな番号で始めているとしか考えられない。300番始まりだとすると京北変電所あたりになるが番号が余る。鳩ヶ谷線と足立線は本来同じ線だったと仮定して鳩ヶ谷変電所始まりだとすると今度は少し数が足りない。足立線27号
 何番始まりでどこが起点だったのか。ここにあげた野方線、練馬線、鳩ヶ谷線、足立線はかつての東京内輪線のルート上にある送電路だ。足立線のとても大きな鉄塔番号を見ると旧東京内輪線の匂いがする。だから足立線の番号振り直しはとても残念なのだ。


 番号は変わったが鉄塔そのものは変わっていない。この鉄塔は足立線と今はなき幻の送電路との交差鉄塔。今は東に内匠線という名残の路線を分岐している。
 複雑に張り出された腕金、碍子をたくさん使ったジャンパー線の取り回し。中肉中背の鉄塔に大量のアングル材と碍子を装備してとても重そうな印象に圧倒される。
 ぐるっと回って北側から眺めると今度はとてもすっきりとしたフォルムになる。
 角度と長さを変えながら上に向う下段の腕金。上段は腕金の手首を、左は下げ、右は上げ、下段の腕金と同調する。これはきれいだ。おどろおどろしい姿の裏に均整のとれた美を秘めている。前衛舞踏の踊り手。題名は「空にねじ込まれた螺旋」。


内匠線1号 いかん。本題はこれからだ。変電所の名前を確認、確認と分岐した線に沿って進む。すぐに小さな引き留め鉄塔が見えてくる。内匠線1号鉄塔。ここから細めの道を越え変電所へケーブルをわたす。内匠線は鉄塔1本だけの路線だ。
 変電所の壁から耐張碍子が伸び、ケーブルは変電所の屋上へ。屋上からの引込みって珍しくないか? その先を見てみたいものだが、鉄塔にでも登るしか方法はなさそうだ。死ぬといけないからやめておく。


 肝心の変電所の名前を求めて一周。予想通り内匠変電所だ。
 「内匠」は「たくみ」と読むらしい。近くに内匠橋という名前の橋があるから地名だろう。帰ってからWebで調べた。
 江戸時代、芦川内匠という武田氏の旧臣が新田を開発。内匠新田→内匠本町、現在の南花畑へと変遷したらしい。
 足立区には〜新田という名前がたくさんあったらしい。蔵前線が地下にもぐる鉄構を「小右衛門開閉塔」というらしいのだが、これも古い地名。渡辺小右衛門とその中間が拓いた小右衛門新田に由来する。内匠線1号と内匠変電所
 ちなみに鹿浜変電所のある場所はそのものずばりの「新田」という地名。古くは「鹿浜新田」だ。花畑変電所の花畑は「花又」という旧名をきれいに呼んだものらしい。


 さあ次は目黒区だ。忙しい。忙しい。
続く

地名については『足立区のちれきみん』内の以下のページ以下を参照。http://www.adachi.ne.jp/users/a.trm/sindenmei.htm
幻の送電路についてはnoriさんがコメントで詳しく教えてくれている。