旧版地形図

荒川を渡る東尾久線

 神田の古地図屋さんに寄って地図を買った。古地図といえば江戸開府400年とやらで江戸時代の地図がここ数年やたら流行った。でも私の買ってきたのは地形図。一番古いのは明治42年の復刻版。次が昭和20年、最後の1枚は昭和32年だ。


 古い地形図の楽しみを教えてくれたのはOld Map Room(旧版地形図の部屋) http://www.interq.or.jp/mars/omr/。中学校時代はボーイスカウトをやってたから、地形図を見る楽しさはそこで教わった。でも古い地形図を見るという楽しみを教えてくれたのはこのサイトだ。


 この旧版地形図が鉄塔観察にもなかなか興味深い。
 通常の地図には送電線は載っていないが地形図にはちゃんと送電線と鉄塔が載っている。だから地形図にはたいへんご厄介になっている。
 しかし急速に改変が進む鉄塔の世界。現在発行されている地形図に載っている送電線で、すでに廃止されたものをいくつも確認している。まして旧版の地形図。今はなき送電線がたくさん発見できる。
 今日手に入れた明治42年西東京には送電線は皆無だ。昭和20年になるとたくさん載っている。本当は長距離送電が始まった大正末から昭和初年辺りの地図が欲しいのだが、古地図ゆえそう簡単には手に入らない。


 さて同じく今日買った昭和32年の1万分の1「三河島」。この地図には「千住火力発電所」がちゃんと載っている。さらに今の都立尾久の原公園の位置に隅田火力発電所なるものもある。尾久の原公園に何か記念碑でもないのだろうか。
 なくなっている送電線もある。今の東尾久線と並行して1本送電線が通っている。線は尾久変電所に入っている。するとこれは「尾久線」?? 考えてみれば「東・尾久線」の「東」は余計な呼称だ。「尾久線」という線があったに違いない。


 北千住線は今と違って西新井橋の下流を通っている。よく見ると変わっているのは橋の位置。鉄塔の位置は現在と同じようだ。おお江北橋も現在の位置とはぜんぜん違う。
 千代田線が入城する今の田端変電所の名前は「田端給電所」。「給電所」いい響きだ。 拡大鏡片手にお酒を飲みながら地図を眺める。夜のよい楽しみだ。


 ところでこの地図が新たな疑惑を呼ぶのだがその話はまた後日