北千住線探訪

北千住線16号

 今日は祝日につき鉄塔巡り。北千住線を遡ることにした。20本程度でどこか変電所に行き着くはずだ。まずは西新井橋の千住側へ向かう。


 この辺りは隅田川と荒川がもっとも接近して流れている。一番狭いところは川と川との間が200メートルもない。荒川にかかる西新井橋、そのすぐ先で隅田川を渡るのは尾竹橋だ。この橋から東尾久線が隅田川を渡っているのが遠望出来る。
 隅田川もかつては何本も送電線を渡していたのだろうが今はここから上流、東尾久線、千代田線など5系統だけだ。
 隅田川は江戸の昔から水運の川。旧千住火力発電所隅田川の水運で石炭を運べることが立地の一番の理由だったのだそうだ。蛇行して続くコンクリートの堤防はまんまんと水をたたえている。空にはぽっかり白い雲、川を上っていくダルマ船の先に東尾久線の鉄塔が白く輝いていた。


 景色を堪能して西新井橋を渡る。橋を渡った先の鉄塔は19号。おや飛び番だ。たしか手前の鉄塔は21号。20号はどこへいったのか。右岸の河原にでも立っていたのだろうか。
 尾竹橋通りを越えて鉄塔は18、17と続く。普通のとんがり帽子鉄塔だ。道は複雑に入り組んでいる。車がやっと通れる道の連続。送電線に導かれて車の通れない細い路地へと進む。


 北千住線16号はやっと人が行き違うほどの細い路地の中に立っていた。路地の真ん中に鉄塔を建てたわけはない。鉄塔が立ってから家が立て込んでついに路地に囲まれた鉄塔になったのだろう。鉄塔には昭和15年と書かれている。おー戦中派ではないか。この鉄塔が出来た昭和15年、この辺りはどんな姿だったのだろうか。


 続く15号は細く曲がりくねったT字路の角。14号はクリニックの駐車場の中。クリニックは休みで中には入れない。病院の関係者だろう、覗き込む私をいぶかしそうに見ている。早々に立ち去る。13号、今度は行き止まり。これも昭和15年製だ。


 12号で梅島駅へ続く商店街を渡り11号――灰色の鋼管鉄塔東武線の高架際に立つていた。ここで2回線を引き下げている。何々、東武梅島変電所に行っているのか。東武鉄道の変電所に違いない。どこにあるのかなと顔を上げると、すぐ隣の高架下に高圧の受電装置と思われるものがニョキニョキ立ち上がっている。地中ケーブルが地面に入る地点から数メートルしか離れていない。
 もしかして東武梅島変電所ってこれ?!高架下をぐるっと回ってみる。ちゃんと表札があった。「東武鉄道梅島受電所」。「変電所」ではなく「受電所」だ。でもこれに給電しているとしか思えない。それにしても数メートルの地下ケーブルとはご丁寧なことだ。ちょっとオタッキーな興味を満足させられ幸せ。


 次の10号は民家の庭の中。これじゃ入れんわと次へ行く。
 9号が見えてきた。お、引き下げ鉄塔だ。鉄塔は変電所構内に立っている。変電所の前は大きな通り。これは日光街道だ。変電所は梅島変電所。大きなプラットフォームを持つドラキュラ鉄塔


 ここまでやって来てその先の鉄塔が見えてきた。今まで四角鉄塔が続いてきたが次は矩形になっている。見覚えのある特徴的な姿。あれは蔵前線では?
 蔵前線、ちゃんと辿ったことはないが、黒ずんだ矩形鉄塔ににぎやかに張り出した腕木、ちょこんと飛び出した猫の耳。花畑変電所ではおなじみの送電線だ。千住新橋の方に延びてはいたがこんなところにお出ましだったか。


 足早に近づくと案の定、蔵前線10号と名乗る鉄構と蔵前線9号の鉄塔が現れた。北千住線は9号鉄塔に繋がれていた。北千住線9号から蔵前線9号に繋がるのは番号がダブっているが、細かいことはどうでもよい。見立て通りこの鉄塔が蔵前線だったことにいたく満足。蔵前線(15万ボルト3回線)は北千住線6万ボルト2回線を共架していたんだ。


 ここで北千住線の源流は分かってしまった。蔵前線は花畑変電所から出ている。だから北千住線も花畑変電所が起点だろう。このまま蔵前線を辿って花畑変電所までとも思ったが今日はここで止め。蔵前線は出直してゆっくり見物したい。
 踵を返し出発点の西新井橋まで戻った。橋の上からは夕焼けに富士山がくっきり浮かび上がっていた。そして富士山の横に東尾久線の鉄塔がちょこんと突き出ていた。


追記 当初、隅田川を渡る送電線の数を2本と間違えて書いていました。実際には5本ありました。訂正します。詳しくはこちらで書いています。