八ツ沢線!!

 南多摩線、長沼線の4号、渕野辺線は5号でJRの横浜線の線路を越える。もう橋本駅だ。


 線路を越えると県立相原高校の広大な敷地内に3本の送電路は吸い込まれた。
 敷地角に立つ渕野辺線4号は帽子がとんがり帽子に変わり、背も低くなる。9号から5号までは平成の鉄塔だが、これは昭和37年、高さは37mと古い鉄塔だ。


 相原高校の中には他に長沼線の3号、南多摩線の3号、渕野辺線の3、2号が立っているのだが、塀の外から眺めるだけにする。

橋本変電所


 高校を過ぎるといよいよ橋本変電所に出た。北側に低く長い鉄構が延び、6万ボルトの送電路が送電線を下ろしている。
 渕野辺線、大野線、長沼線。そして追ってきた由木線も鉄構に収まった。由木線はここが始まりだ。



 南多摩線は巨大な橋本線1-1鉄塔に収まり、そこから変電所内の鉄構に線を下ろしている。この鉄構とても大きい。3階建てでなんとも立派。まるでお城のようだ。


 ここまでが東〜東南のルートだ。西からも3ルート送電線がやってくる。
 一番南側は都留線。一番北側は川尻線。そして真ん中のルート。茶色に錆びた最終鉄塔。もう錆び錆びです。生きてるんだろうかこれは! 1本先にはジャミラ。背も低いし。何か古そうだなぁと看板を見ると


 八ツ沢線109号!!


 八ツ沢線! 八ツ沢線です。ついに八ツ沢線までたどり着いた。

八ツ沢線109号


 西に行こうプロジェクトは、長距離送電の黎明期、相模川上流の桂川水系からやってきた駒橋線、八ツ沢線、谷村線のルートをたどる旅。駒橋線のルートはなくなってしまったが、八ツ沢線と谷村線のルートは相当部分が残っている。


 和田堀から和田堀線〜中富線(調布変電所付近まで)〜(途中分断)〜久我山線(府中変電所手前数本)〜府中線〜由木線がかつて八ツ沢線だったことは古い地図で確認している。
 分断されたいろいろな線をたどって歩いてきたが、いよいよ線名も由緒正しい八ツ沢線にたどり着いたんだ。


 感慨無量で鉄塔を眺めていたら、横の畑のおじさんが話しかけてきた。10月にこの109号と隣の108号鉄塔が建て替えになるのだそうだ。建て替えぎりぎりに八ツ沢線に着いたわけだ。


 もう夕暮れ。橋本変電所は再度訪問することにして帰路についた。

京浜地方送電系統変遷図(大正3年末)(『東京電燈株式会社開業五十年史』)