一の宮線跡をたどる

一の宮線47号
一の宮線47号

 先日発見していた一の宮線の跡をたどることにする。前回来たときはとてもよい晴れだったのだが、今日は雨。電車で府中まで来た。


 オフセット付きの腕金を持った鉄柱が多摩川へ向けて並んでいる。架線柱と一体になったものと単独鉄柱のものがある。何本か毎に門型鉄塔もある。


 カーブ内側に立つこの45号は、カーブ外側にある鉄柱と対になっていて間はケーブルで結ばれている。カーブの内側にかかるテンションを支えているのだろう。初めて見た形だ。

一の宮線45号。中段からケーブルが延びている。 ケーブルの先はこの鉄柱
一の宮線45号。中段からケーブルが延びている。ケーブルの先は右の鉄柱


 送電線は撤去されているがなかなか面白い。在りし日の活気を感じることができるような気がする。


 分倍河原を過ぎ中央道を越えた辺りで突然鉄塔がなくなった。雨も強くなるなかとぼとぼと次の中河原駅へ歩く。


 ふと横の架線柱を見ると「東京電力 一の宮線」の鉄塔札がある。何の変哲もない架線柱なのだがこれは如何に? どうやら鉄柱の突き出た部分で送電ケーブルを支持しているらしい。回線番号もついているし閃絡表示器(落雷があったことを表示する装置)もついている。

何の変哲もない架線柱だが実は…
何の変哲もない架線柱だが実は…
一の宮線59と書かれた鉄塔札
一の宮線59と書かれた鉄塔札
回線番号も閃絡表示器もある
回線番号も閃絡表示器もある


 送電線ではなくて送電ケーブルによる送電路だったんだ。鉄塔札には昭和63年の記載がある。ずいぶん前からこの方式だったようだ。残った鉄塔から見て電圧はせいぜい2万程度だろうからケーブルでも十分なのだろう。果たして今も現役の送電路なのだろうか。


 しばらく進むと複雑な門型鉄塔が現れた(一の宮線66号)。線方向に延びる腕金、その下には受けのテラスと思われるもの。すでに送電線は撤去されているのでどう結線されていたのだろうか。地下ケーブルの入り口があり「一の宮線No.66(鉄)〜京王中川原YJ」と書かれている。

一の宮線66号
一の宮線66号
同、地下への入り口か単なる断続器か、ここで一つの重要な役割があったに違いない
同、地下への入り口か単なる断続器か、ここで一つの重要な役割があったに違いない


 その先はすっかり線路も建て替えられ送電路であった形跡は見あたらなかった。多摩川の東京側に残った一の宮線の痕跡は武蔵野台〜東府中と府中〜中河原ということになる。機会があったら川向こうも調べてみよう。


(注 閃絡表示器は「Yoshiro's」の以下のページを参照。【リンク切れ】
http://www.ayame.sakura.ne.jp/~yosihiro/s_Tetto_Kosekibo/8Tetto_Fuzokuhin/Senraku/Senraku.html