つくばエキスプレス開通記念・台風紀行 その3

亀戸線55号

2005年9月7日の日記続きの続き)


 亀戸線はとても好きな線路だ。その中でもこの先、中川と大場川に挟まれた区間は一番好きだ。もうそのすぐ横まで来た。せっかくの雨上がり、夕方まで過ごすことにした。まずはコンビニでにぎり飯と牛乳。遅い昼飯を頬張りながらゆっくりと歩き回る。


 亀戸線の鉄塔といえば優美な曲線を持つとんがり帽子鉄塔。でもこの区間だけは簡素で低いジャミラが続く。どちらかといえば洗練されない質素で田舎染みた鉄塔達だ。鉄塔標札にはみな大正13年の表示がある。
 急角度で中川越えの送電線をがっちり受け取る53号、郵便局横でII吊りの碍子を踊らせる54号、農家の納屋横に立つ地味さが持ち味の55号、この区間唯一の気取ったとんがり帽子56号、そして大場川越えを受け持つ大きめの57号。何度見ても、その度にもっと好きになる鉄塔達だ。地味めの鉄塔達も雨上がりの日差しを浴びて今日はキラキラと輝いている。


 そんな鉄塔達が立つこの地域――大場川を渡ればもうそこは東京23区の葛飾区というのに――奇跡のように残った静かな土地だ。工場団地にもならず、新興住宅地にもならず、畑と古い住宅が混在する。
 古く静かな土地と古く地味で質素な鉄塔達。僕の中ではとても大切な風景なんだ。



 この土地に始めてきたのはやはり亀戸線を追いかけた時だ。金町を越え水元公園の辺りで日が暮れた。来た道を引き返すのもしゃくなので街道を中川まで進み、川沿いに帰ろうとバイクを走らせた。
 中川にかかる潮止橋まで来たらジャミラ鉄塔が待っていた。おやまた会ったと街道から外れエンジンを切る。すると暗闇から神楽の音が聞こえてきた。


 お祭りだろうか?すぐ横の神社に人が集まっている。でも屋台が出ているわけでもない。神社は社殿とその前だけが明るくなっている。


 社殿の前で獅子舞を踊っていた*。二、三十人の人が周囲で獅子舞を見ている。太鼓を抱えた3体の獅子が笛に合わせて踊る。ゆっくりと、時々激しく、そしてまたゆっくりと。
 どのくらいの時間見ていただろうか、10分経っても20分経っても獅子達は変わらず踊り続ける。周囲の観客も飽きるでもなく、熱中するでもなく、ただただ静かに見守っている。
 街道は相変わらず車が行き交い、運転手は信号をいらいらと待っている。そのすぐ横の暗がりで獅子舞はいつ終わるともなく続く。ゆっくりと、時々激しく、そしてまたゆっくりと。まったく異なる時間の中にあるように繰り返す。


 僕はそんな永遠の時間に耐えきれなくなり神社を離れた。バイクを止めた神社の前が一方通行だったので暗い街の中に入り込んだ。民家も少なく、ところどころにある街灯だけが道を照らす。道をあてずっぽうに進む。方向が分からなくなりふと横を見ると暗闇の中に鉄塔達が息をひそめて立っていた。僕とこの土地、この鉄塔達との出会いはそんな不思議な時間の中にある。



 そっとしておきたいものはあまり人には話せない。だから本当は秘密なのだ。でも「つくばエキスプレス」開通でこの土地も変わりつつあるようだ。56号横の畑は宅地へと変わり、新築の家が立ち始めていた。
 すっかり変わってしまう前にやはり紹介しておかなければ。今までは遠くの駅までバスで揺られなければならなかったこの土地も、今や駅まで自転車なら簡単に行ける。変わっていくのは仕方がないことだろう。でもこれからは鉄塔達が肩身の狭い思いをすることになるのかと思うと悲しい。


 夕暮れ、大場川を渡って金町行きのバスを待つ。もう日没もとうに過ぎ、夕焼けの写真も撮り終わった。辺りはすっかり暗い。バス停の椅子に座り川のほうを振り返る。不思議なことに終わったはずの夕焼けが。再び、とても信じられない華やかさで、空一面がオレンジ色に染まっている。その光りの中に「気取ったとんがり帽子の56号」が名残惜しげに立っていた。

(終)



*1 後日神社で見た説明板によればこの獅子舞は「大瀬の獅子舞」と呼ばれ、八潮市無形文化財に指定されている。この辺りの土地は室町時代から舟運で栄えていたというから、とても古くから伝わるもののようだ。私の見たのは7月の終り、氏子宅を獅子が回る祈祷獅子に当たっている。氏子宅を回った後に神社で獅子を奉納していたところに遭遇したのだろうか。