最後の煙突

新豊洲変電所

 春のような陽気に久しぶりにバイクで仕事へ。昼過ぎの打ち合わせが突然1時間延期。ポカッと1時間空いてしまった。場所は東京ど真ん中は銀座。喫茶店で時間を潰すのもつまらない。せっかくのバイク、豊洲埠頭に向かうことにした。


 豊洲といってもピンと来ない方も多いと思うが、銀座の隣(築地)の隣(晴海)のその次だ。お台場がある埋め立て地はその先になる。要は都心からすぐの場所だ。
 都心からすぐとはいえ豊洲埠頭へ行ったことがある人はまずいないだろう。この辺りはかつて臨海の工業地帯、石川島播磨重工、東京ガス、そして東京電力といった巨大な工場で埋まっていた。


 埠頭の名称もかつては豊洲石炭埠頭で最近は豊洲鉄鋼埠頭。晴海埠頭のように客船が着いているわけではない。そんなところに関係者以外は誰も行かない。
 昔から東京中を歩き回るのが趣味の私も豊洲埠頭の根元は数えきれない程通っているし、根元にある「ドウ・スポーツプラザ晴海」に通っていた時期さえある。でも中に入るのは今回が初めてだ。


 豊洲埠頭は大激変の最中だった。
 埠頭を埋めていた工場がすべてなくなり、ゆりかもめが延伸され、晴海との間に橋が出来、芝浦工大が来て大規模ショッピングモールができ、そのうち築地の魚市場がここに移ってくるらしい。
 工場はすっかり取り払われ見渡す限りの空き地。その中を工事のダンプカーが盛んに行き来している。


 埠頭の真ん中の道の上にもう「ゆりかもめ」の高架線が1本通っていた。その先に巨大な円筒形のビルが建っていた。これが今回の目的地。


 かつてここに新東京火力発電所があった(稼働期間は昭和31〜59年)。現在は新豊洲変電所になっている。この変電所、50万ボルト地下変電所と50万ボルト長距離地下送電というふたつの世界初で有名だ。千葉県は船橋の奥、新京葉変電所から全面地下ケーブルで50万ボルトがやってくる。変電所部分はすべて地下。地上部分はすべてオフィスビルらしい。
 直径140メートル高さ60メートル、10階建ての巨大な円筒形。とても大きいが広大な埋め立て地にはちょうど釣り合ってしまう。


 その円筒の手前に2本の煙突が立っていた。実はこれが本当の目的地だ。新東京火力発電所の最後の名残。かつての写真を見ると煙突は6本も立っていたようだ。


 入り口に止まっていた重機の人に断って中に入れてもらう。何を撮るんだと聞くから「煙突」と答える。
 「あの煙突も壊すんですか?」と聞くとそうらしいと答えが返ってきた。思わず「もったいないなぁ」と言ったら、「本当にね」と同意してもらえた。


 周りの施設はすべてなくなり、広い荒れ地の真ん中に地面から直接ぽつんと立つ煙突。とても大きな煙突なのだがこじんまりと見える。でも真下まで行くとさすがに大きい。見上げるととても迫力があった。
 何の設備にもつながらず、まるで見せ物のように単に立っている煙突。煙突というよりは何かのモニュメントのように思える。


 頃はちょうど昼休み。広大な工事現場は静かに広がっていた。あくせく写真を撮ってる私。現場で働いている人たちは久方ぶりの春の陽気に地べたに寝ころんで昼寝をしている。
 古い時代の偉業を青筋立てて追うより、今日は地べたで昼寝をするのがもっとも正しい。時は流れ人も変わる。新しい豊洲に乾杯だ。


追記)
 みそがいさんのページに「豊洲ガスタービン線」の写真がある。そして「新」がついてない「豊洲変電所」の看板、豊洲ガスタービン発電所の名前の入った看板も。
http://www.asahi-net.or.jp/~js4m-isgi/tettou/tettou102.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~js4m-isgi/tettou/tettou103.htm


新豊洲変電所については東京電力のプレスリリースhttp://www.tepco.co.jp/cc/press/00112101-j.htmlを参照。
新東京火力発電所の往時の雄姿は東京電力のページにある。https://www4.tepco.co.jp/company/corp-com/rekishi/50anniver/hatu01-j.html
清水建設のページにもある。こちらは貯木場の木材も一緒に写っている。http://www.shimz.co.jp/200th/sakuhin/200-50on-body.html
豊洲の歴史は豊洲商店街のホームページ「ようこそ豊洲商店街へ」(http://www.toyosu.or.jp/toyosu/rekisi/)に詳しい。
埠頭根元周辺の開発計画については「豊洲二・三丁目開発計画」のページhttp://www.toyosu.org/がある。
埠頭の中の開発計画については適当なページが見当たらなかった。