杉並線のガキ大将

杉並線37号

 以前野方変電所へ行ったおり、杉並線の鉄塔を見た。一発で惚れ込んだ。何じゃこれ!!とてつもなくチビ。高さは20m程度。手を伸ばせば線をつかめそうな気さえする。
 チビのくせに主張が強い。頭にはとがった角をふたつ出し、腕木も小さいながら3つも伸ばした矩形鉄塔。左右6個の腕木のうち使っているのは一番上部の1対だけ。後の腕木は威張るためだけのアクセサリ。架線の支持だって上部に2本、その下に1本という変形。
 どう見てもすこしひねくれたガキ大将だ。


 建造年は昭和1年12月。チビのくせにやたら歳をとっている。まてよ昭和1年って大正15年のことじゃないか。大正天皇崩御したのは大正15年12月25日だから、昭和1年は12月25日から31日までの7日間しかない。ということはこの鉄塔年号的には貴重品だ。うぬ、お主やるな。


 初めて会ったあの日は川沿いに進む目白線のほうに惹かれてこのガキ大将とは別れた。今日は万全を期してやって来た。杉並線全鉄塔踏破だ。


 野方変電所から和田堀変電所までを40数本で結ぶこの系路の歴史は古い。東京内輪線の一環として昭和初年に建設されている。原型の鉄塔たちは高さが20〜25メートルほど。独特の矩形鉄塔だ。構造上は4回線を支持できそうだが、変形で上の2段しか使っていないのは高さが足りないせいだろう。


 鉄塔は野方変電所から狭く曲がりくねった路地の街を徐々に西南へ針路を取り進む。狭い路地とチビ鉄塔がお似合いだ。ガキ大将が陣取りをしているような風情。


 やがて環七を渡り早稲田通りを横切ると高円寺の庚申通り商店街へ出る。よそから遊びに来る人も多い街。にぎやかな商店街だ。何とその商店街のたこ焼き屋の後ろにちょこんと杉並線37号は立っている。
 にぎやかな街に立つ鉄塔は逆に孤高の影を強めるものだが、こいつは負けずににぎやかだ。どうも憎めないやつだ。


 次の鉄塔は変電所。この商店街に面して大きな変電所が建っている。これ珍しくないか。ここに立つ鉄塔は1回線づつ甲乙ふたつの矩形鉄塔に別れる。背も少し高い、帽子は2本の角からひとつの三角帽子へ。色もずっしりと黒っぽい。少し大人びた感じ。全身からレトロな雰囲気を発散してなかなかダンディーだ。


 商店街の裏に回った杉並線は商店街沿いに南下する。美化鉄塔に建て直されたものも交えながら中央線を越える。残念なことにその後はほとんどが美化鉄塔にお化粧直ししている。ガキ大将の陣地は高円寺の北側までのようだ。


 おしゃれでスマートな美化鉄塔の番号を数えながら進むと青梅街道。その先に原型鉄塔が残っていた。古い友達に再会したようで、うれしくなって近づく。


 鉄塔の周りは工事の柵で囲まれていた。
 鉄塔の内側が四角く掘られており、コンクリートの土台から円形に鉄筋が配置されて出ている。どうやら美化鉄塔に建て直している最中のようだ。
 鉄塔票を確認するとやはり「昭和1年12月22メートル」、原形の鉄塔だ。悲しい風景に出会ってしまった。


 かつては明るい雑木林の崖の上。この鉄塔、和田堀の低地に向かって思いっきり威張って'お山の大将'をやっていたに違いない。それから80年、すっかりにぎやかになった商店街だって遊び場にしてしまうガキ大将。でもやはりもう歳なのか。
 工事の補強のためかきらきら光る新品の等辺山型鋼で一部を付け替えた23号鉄塔。その鋼材の細さがとても痛々しい。


 丘を下り松の木の街。美化鉄塔が夕焼けに並ぶ。彼女たちはかつてここにどんな鉄塔たちが立っていたかをちゃんと分かっているようだ。だから慎ましやかに静かに送電線を運ぶ美化鉄塔たち。悲しさを洗い流してくれるような優しい風景だった。