送電線のない変電所

変電所マーク

 最近、送電線のない変電所めぐりをしている。地下ケーブルで電気を受け取り地下ケーブルで電気を送り出す。窓のない箱状の建物。面白みがない無愛想なやつだ。でも愛する送電鉄塔が送り届けた電気の最終到達地だから敬意を払って回ることにした。
 送電線がないのでどこにあるのか手がかりはない。2万5千分の1地形図で変電所マークを潰していくだけだ。でもこれで可能なのは地上に出ている変電所、地下変電所となると皆目見当がつかない。東電の資料などで当たりをつけるしかないが、できるだけ探してみよう。

アメ横の地図にない変電所

下谷変電所

 今日は午前中に仕事の打ち合わせ、帰り道に昼食がてらアメ横に寄り道。平日だというのにアメ横はあいかわらずにぎやかだ。
 今日の獲物は2万5千の1地形図に載っていない下谷変電所。その存在はWebで発見した。古い建物ファンの間では知られた建物のようだ。アメ横の昭和通側の裏通り。繁華街の中にひっそり建っている。(「分離派建築博物館」内 http://www.sainet.or.jp/~junkk/kakuti/touden.htm
 戦前の建物だろう、薄汚れてはいるが入り口のちょっと凝った玄関構えと上部に飾りが付いた柱がよい。変電設備を屋内に格納した古い時代の都心型変電所。こんな建物がかつてはたくさんあったに違いない。

碍子の上で中華はいかが?

アメ横プラザ

 アメ横ついでに旧国鉄上野変電所があったという「アメ横プラザ」を見る。アメ横センター前のガード下。ここに変電所があったことはアメ横の歴史について書かれたページで存在を知った。

現在のアメ横は、戦時中、ガード下の変電所を守るために住宅を強制疎開させた空き地だった。(『東京絵の具』)
http://blog.goo.ne.jp/sharpsony/e/1699c2e6c9e394e9f975ae8055cece83
変電所がアメ横発祥の遠因だったとは!!


最初に入ったのが上野変電所で、アメ横に面するガードのあたりにありました。(『駅の記憶』)
http://ekitan.com/kioku/ueno/memory.shtml
戦後も変電所はあったんですね。


東京消防庁から“防災危険地域第一号”のレッテルを貼られた。だが、どうすることもできない。(中略)助けてくれたのは国鉄である。幸い、国鉄が変電所跡(約二千平方メートル)を貸してくれるという(『上野商店街連合会公式サイト"e-うえの"』)
http://www.ueno.jp/modules/xfsection/article.php?articleid=15
幸運にも前面ガード下国鉄変電所後(現アメ横プラザ)の利用 が可能となり(『アメ横センタービル』)
http://www.ameyoko-center-bldg.com/about/index.html
変電所跡は「アメ横プラザ」!!


 雑踏の中、何か変電所の痕跡がないかと探す。
 線路からケーブルの束が下りてきてプラザの中を通過し反対側から線路に戻る。これが変電所の痕跡と言うのは無理があるか。
 壁から直接出ている切断されたケーブルの束。でも送電線にしてはちょっと細い。
 壁に何かの穴を塞いだ等間隔の痕跡。あの位置にプッシュが並んでいたのか。妄想だけが膨らむ。

壁から出るケーブル 壁に四角い跡が
高架の上の鉄構

 線路を見上げると鉄構がある。これは架線への給電用に使われる形、鉄道の変電施設付近には必ず登場する。これはけっこう有力だ。鉄構には「昭和31年3月」と書かれていた。ちと新しいかな。


 無駄な努力はおしまい。昼飯にする。変電所があった「アメ横プラザ」の中にある中華料理屋「新東洋」。この店、狭い通路の奥から2階に上がる。まず発見できない穴場的な店。仕事でお世話になっているS氏から教えてもらった。
 今日頼んだのはニラレバつけ麺、750円。量がすごい。食べきれるだろうか。
 悪戦苦闘しているとすぐ頭上を車輪の低い音が響き、突然、碍子の上でつけ麺をすすっているような気分になった。何故か幸せな昼飯だ。