淀橋線ごくろうさまでした 5

かつて淀橋線5号6号のあった空

2008/4/11の5)
 もう環七だ。環七を渡った先、善福寺川の横に2本の美化鉄柱がたっていたはずだが。
 環七の手前から眺める空にはなにもなくなっていた。


 最初の5号は小さな公園の中にあったはず。交番の裏手の茂みに入り込み痕跡を探す。ある一角の植え込みが新しい。植え込みの木もまだ植えたて。ここにも「ひがしでん」。
 すっかり公園に溶け込んでしまった5号のすぐ隣に最終6号があった。この美化鉄柱は道路わきに立っていた。ここも植え込みの中だからもう見分けが難しい。
植え込み


 善福寺川のほとりに立っていた最終の6号――送電線が途絶している美化鉄柱。
 6号はそんなに年老いた鉄塔ではなかった。でも彼のおじいさんはとても大きな仕事をした鉄塔だった。明治時代、八ッ沢から来た電気を淀橋の変電所に向けてここで受け渡していたんだ。そんな立派な祖先を誇りに思って6号も働いてきたのに。


 私が初めて淀橋線に出会った時、すでに送電線は途絶していた。5号から受け渡された送電線を次に渡そうにももう次の仲間はいない。6号は誰もいなくなった善福寺川をじっと眺めていた。川の空遠く新宿副都心ののっぽビルが見える。



かつての淀橋線5、6号


 そして数年、6号もまた仲間と同じようにいなくなった。今頃きっと昔の仲間達に会って仲良く話しているに違いない。そしてみんなで夕暮れの善福寺川の上空にきらきらと虹色に光る送電線を受け渡しているんだろう。送電線の話す小さな電気の音は環七の喧騒で聞こえてこないだけだ。


 帰路、大宮八幡の入り口の中華屋へ入る。そういえばかつて淀橋線をたどったときもこの店に入ったんだ。
 カウンターの下にあったマンガを読みながら餃子に喰らいつく。餃子定食の餃子がとても大きい。この前食べたのはラーメンだったかな? なぜかとても懐かしい。

□淀橋線6号 S60.10 32m
環七の内側、善福寺川沿いに立つ。美化鉄柱。耐張碍子で線を引き留めているだけ。どこにも繋がっていない。
先を見ると新宿副都心のビル群が見える。ここから川沿いにユニークな門型鉄塔があそこまで繋がっていたのだろう。
□淀橋線5号 S60.10 32m
公園の脇、美化鉄柱。(2005/10/9のメモから)

註 淀橋線の沿革については『送電鉄塔見聞録』の中の「八ッ沢線」をご覧ください。 http://transm.web.infoseek.co.jp/soudenn148.html